今日から連続で「英語教育」のお話。今日はその(1)です。
ここ10年くらいからですかね、小学校での英語教育が本格化したのは。小学校の先生の中には、英語が導入されると聞いて退職も考える先生もいるようです。当然です。専門的知識も持つことなく一番大切な英語教育の導入期を自分が担当する...ありえないことです。乱暴すぎます。国はその乱暴さと危険性が理解できているのでしょうか。高校の教員を40年以上続けてきました。私は小心者ですし、公務員ですから、学習指導要領をできる限り理解し、それに寄り添い努力をしてきたつもりです。ただ「小学校での英語必修化」「民間英語能力試験の大学入試での本格利用」あたりから、どうしても正しい方向に向いていないような気がするのです。高校を卒業しても「使える英語」が育たない、だから「コミュニケーション」を中心としたカリキュラムを組んで発話を多くする、それでもうまくいかないから「小学校から始める」、そんな風に思えてならないのです。学習指導要領の文言に誤りなど一つもありません。完璧です。もちろん小学校から英語を始めるのも発想としては間違っていないと思いますし、「コミュニケーション能力」を育てるのはとても良いことです。ただ、学習内容の組み立てがずれているのではないかと思うのです。時間を掛けたら、それなりの効果を求めます。時間を増やせばいい、早く始めればいい、そうではないと思います。費用対効果を考慮に入れなくてはいけません。児童・生徒は身に付けなくてはいけないスキルが益々増えてきます。だからこそ、児童生徒も保護者も納得できる、塾や予備校に頼らなくてもよい英語教育が学校で実践されるべきだと考えます。
それでは、今の英語教育のどこの部分に問題があるのか、そもそも「使える英語」とは何を意味するのか、そのために何が必要か。あくまで私見として、あくまで「おじさんの戯言 猫付き」の戯言として読んでいただければありがたいです。
思わず、長くなりました。この続きは「使える英語」を身に付けるための英語教育(2)以降で順次お話していきます。お付き合いいただけたら幸いです。