本日は「ぼっち」についてのお話。
高校の宿泊研修で私がまとめ役を務めた時のことです。全学年での宿泊ですから、食事も時間制・入れ替え制となります。ようやく全クラスの食事の目途がたち、職員の食事もだいたい終了となりました。最後に食堂の係に確認をとり、ようやく私も食事をテーブルに運んで食事しておりました。一人です。「しおり」を見ながら今後の全体の進行を確認しながら食事をしていると、生徒数人が、自分たちのトレイを持ってきて(中にはほとんど食事も終っている生徒もいました)、私の座っているテーブルに「座っていいですか?」というのです。面識のある生徒ではありません。私は決してモテるタイプの教員ではありませんから怪訝に思いながらも差しさわりのない話題を提供し、食事を終え、早々に席を立ちました。もっとゆっくり食事をしたかったなと思いながら。今のは一体何だったんだろう。
その理由がわかったのはあるテレビのビデオクリップを見た時です。大学の学食で一人で昼食をとっているのが恥ずかしいから、トイレの個室でご飯を食べている...という内容ものでした。宿泊研修の際、私のテーブルにやってきた生徒は、きっと私が「ぼっち」なのでかわいそうと思ったに違いありません。そんな風に思われていたと思うと少し恥ずかしくなりました。ビデオクリップに関してのコメントも「現代の若者はコミュニケーション能力に欠ける」「嘆かわしい」といった論調だったと思います。私は、トイレの個室でご飯を食べている若者の気持ちは全く理解できません。「ぼっち」がなぜいけないのでしょう。恥ずかしがることはありません。また「ぼっち」がコミュニケーション能力の欠如であるという風潮も間違っています。逆にそういった社会のの風潮がトイレでご飯を食べる若者を作り出すのです。
次回のブログでは私なりの「ぼっち」論をお話したいと思います。