前回「ぼっち」考の2回目です。
「クリぼっち」という言葉が一般化したのいつごろからでしょうか。「クリスマスを寂しく一人で過ごす」イメージですが、わからないわけではありません。そりゃ、クリスマスに愛しい人とロマンティックに過ごすのは誰でも憧れるもの。バレンタインデーも似てますね。
ただ、最近では「ぼっち」のネガティブなイメージで浸透しすぎていると思います。「ぼっち」は一つの個性です。「ぼっち」が嫌なら、それなりの生き方の工夫が必要ですが、その方が落ち着く、本来の自分でいられる、なら胸を張って「ぼっち」を通すべきです。多様性が声高に叫ばれる現代、「ぼっち」は多様性の一形態です。現在、多様性と言いながら、多くの人が「それは多様性の一形態だと認知すべきだ」と考えた多様性のみを多様性と認めている気がします。それでは本当に多様性を認めたことになりません。
「多様性を認める」というのは、個々の価値観を認めることです。友人がたくさん持っている、皆で楽しく盛り上がれる=人間的に優れている、と考えても良い。だからといって「ぼっち」は人間的に劣っている、と考えてはいけないのです。つまり、多様性の根本は自分の価値観を押し付けないというのがベースです。「男は男らしく、女は女らしくしなくてはいけない」も同様です。そう思うのも自由です。それを他人におしけてはいけない、ということです。もちろん、道徳的、倫理的価値判断(公序良俗に関することも含め)に関しては、その限りでないことは当然です。
自分が「ぼっち」だと、少し落ち込んでいる人に伝えます。世の中には「ぼっち」を心から楽しんでいる人(私も含め)、「ぼっち」だからこそユニークなアイデアを思いつく人、すごく世界に貢献している人もたくさんいます。「ぼっち」は単なる「孤独な人」ではありません。「孤高の人」です。自分に自信を持ちましょう。そして心の中で時には自分で自分に対してスタンディングオベーションをしましょう。
「ぼっち」は一人ではありません。少なくても「ぼっち」仲間はいるのですから。