おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

道徳欠落症候群🏫

本日は「道徳(しつけ)」のお話。

 皆さんは、レストランで走り回る子供にイラってすることありませんか?しかもその親は友達との話に夢中なのかほとんど知らん顔...他の客が注意するといかにも理解がない大人たちだ、と言わんばかりの不満顔。しかも、それがSNSで悔し紛れに投稿されてたりする...そのうえ、「こんな育児に理解のない社会だから、子どもを作りたがらないのだ」などと「少子高齢化」論を述べる人まで....最後には法律では...と真面目に弁護士がコメントを出したりしているのです。道徳を教える立場の教育現場でさえ怪しい。子どものやりたい放題、親の言いたい放題。最後には、いじめられている児童が逆に転校を勧められたりする...泣き寝入りです。異常です。いや非常事態です。「道徳観念」が明らかに欠落しています。

 日本はいつからこんな風になってしまったのでしょう。私が思う原因は次の通りです。

 第二次世界大戦後、日本は戦前教育の過ちを正すために民主的な教育に大きく舵を切りました。間違ってはいません。日本人はまじめです。舵を切るときは、それに集中して舵をきるのです。ただ、その際「礼儀」「他に対する思いやり」「実直さ」「潔さ」といった美徳も軍国主義の名残がごとく、すべて一緒に捨て去ってしまったのではないでしょうか。一種の「断捨離」ですね。戦前の教育=軍国主義と決めつける傾向はありませんか?「個」を大切することは何でも自分勝手にしてもよいわけではないのです。

 もちろん社会状況も変化も関係します。子供の数も少ないこともあり、過保護になりがち。嫌われたくない、だから叱れない。「自主性に任せた」方が親も楽ですから。たとえその「自主性」のベクトルが間違っていると分かっていても、です。

 それではどのようにするのか。ある意味では幼少期に教えこむしかありません。少々子どもに嫌われてもいいではないですか。自分たちは子どもよりほぼ確実に先に死にます。見えない大切な「何か」を子どもに残すことは、物質的財産よりかけがえのない遺産を残すことになるのです。子どもの幸福に繋がるのです。フランスでは、しつけは鞭をもって厳格に行うと聞いたことがあります。その規範があるから、成人は「自由」に「個」として行動できるし、扱われるのです。日本では、規範のないまま、本当の「個」ができていないのに、成人として「自由」を与えられてしまうのです。日本にだってあったのです。会津藩の「什の掟(じゅうのおきて)」をご存じですか?会津藩の白虎隊の学び舎であった藩校「日新館」では6歳~9歳の藩士の子弟に叩き込まれた「教え」です。理屈も何もないのです(もちろん理由はありますが)あの有名な「ならぬものはならぬ」です。もちろん時代の変化とともに「道徳」も変わるべきものはとは思いますが、社会的な規範(道徳)は教え込むべきです。また「道徳」は人としての善悪であって、法律上の可・不可ではないことを認識しなくてはいけません。

※「什の掟(じゅうのおきて)」をご存じない方のためにリンク貼り付けておきますね。

什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです) | 會津藩校 日新館―会津藩・白虎隊の学び舎

 今からでも遅くはありません。各家庭が、学校が少しずつでも「心の豊かさ」を自らの痛みをもって子どもに教えませんか。何十年後かには「ハラスメント」や「いじめ」が恥ずかしいことだと誰もが思う社会になっていることと信じます。

 最初の一歩は「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えることだと思います。私は実際にこの2つを目標に3年間担任をしたことがあります。生徒にはずいぶん在学中に文句も言われましたし、嫌われもしましたが、卒業後は一緒に酒も飲める間柄です。こちらの苦労が裏切られることはありません。