おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

理想の授業(故 高島誠先生によせて)🧔

本日は、私が理想の授業の実践者と尊敬している高島誠先生のお話。

 教職について40数年。自分なりの理想の授業を頭に描き過ごしてきました。その中で私が目標としている先生がいます。高島誠先生です。

 私は渋谷にある大学に通っていました。地元から往復5時間近く通学にかかったので大学4年のころはなるべく一日に授業を詰め込んで、週何日かの通学ですむように時間割をたてました。高島先生の授業もその関係で履修登録しました。一日の最後の時限、16:30-18:00だったと思います。「英文学特講」だったかなぁ。当時、授業は私立だったこともあり、たいていの授業の出席は、当日配られる小さな出席カードに自分の情報を書き込んで提出する形式でした(アナログそのもの)。中にはズルい学生がいて、別の授業で配布されたカードを余分に確保して、友人にカードを出しておいてもらう「代弁」みたいなことをする輩もおりました。大学側もそれに気付き、そのたびごとにカードの色を変える...学生側はすべての色のカードを揃え、それを友人に出してもらう...私の友人はすべての色を揃え、自らを「七色仮面」などと名乗っておりました。そんな調子ですから、最後の授業などなかなか出席したがらないのも当然...ですが、高島先生の授業は違っていました。授業枠は50人程度だったはずですが、人気を博し、最後には講義室の後ろに立ち見が出るくらいだったのです。出欠の確認もユニークで毎時間とりません。前期・後期で4枚づつ先生からハガキ(官製はがきに先生が自分の住所・宛先をハンコでおしたもの)を購入し特に興味のもてた授業の感想や質問を自宅に書いて送るというものでした。内容は「英文学」というより「芸術論」に近いものでした。授業の半分は抽象的な内容でちんぷんかんぷん、一生懸命聞いていてもなかなか理解しきれない...ただ、先生の何かに取り付かれたような殺気さえも感じさせる熱意とその「ちんぷんかんぷん」に惹かれるのです。それで「立ち見」です。出席カードで学生を縛らなくても「価値あるもの」には学生はついていくのです。

 高校も12月の声を聞くころになると受験勉強のために「サボる」生徒が出てきます。「サボる」生徒が100%悪い。が、我々教員も、高島先生のような学識と熱意をもって授業に向かわなくてはいけないのだ、と思います。叱らなくても積極的に参加したくなるような、立ち見が出るような授業を目指さなくてはいけないのです。

 授業の合間にお話をしてくれた登山の話や、青春論、いまだに昨日のことのように覚えています。偶然、ネットで調べていたら、平成5年に逝去されたことを知りました。私が高齢者ですから、先に旅立たれるのも当然なのかもしれません。

 高島先生、40年以上の前の教え子が先生をいまだに目標にして頑張っています。先生にはまだ、全然追いつけていないけれど。先生の愛したエベレストより高いところから「おじさんの戯言」を小耳にはさんでくれると嬉しいです。

 先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

合掌