おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

歴史は繰り返す

「歴史は繰り返す」のお話。

 「歴史は繰り返す」よく耳にする言葉ですが、授業でも"History repeats itself"と英訳します。定義としては辞書では次のようになっています。

小学館デジタル大辞泉より)
ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉。過去に起こったことは、同じようにして、その後の時代にも繰り返し起こる。

古代ギリシアの歴史家ツキディデスのものという説やドイツの哲学者カール・マルクスのものとの説があります。

 本当に歴史は繰り返すのか?繰り返します。ギリシア・ローマ時代から数千年繰り返しているのですからビックリです。ノストラダムスの大予言」よりもずっと高い確率で当たっています。確か教科書で習った歴史において繰り返されるのは、まだ人類が成熟していなかったから...と根拠なく理解できますが、科学技術が人間が制御できないほと発達し、人間にとっての「正義」とはといった哲学的研究も進んでいるこの時代に繰り返されるなんて...

 私が中学生だったころ(もう半世紀も前です)、授業で戦争は悲惨だが必ず繰り返されると聞きました。理由は大きな戦争が起こると誰もが二度と起こさないと決意するけれど、その孫の世代まで下ると直接悲惨さは経験しない人間が増える。すると、また過去の悲惨さを忘れて始めるのだと... そのスパンが50~70年。実際その通りになりました。現在、ウクライナ戦争が勃発、ロシアと北朝鮮が連合、中国の積極的参加はないものの世界は二極化の様相を示し、その上、世界中の経済状態が停滞していることも関係し、全体的に内向きのブロック経済に近い傾向が出てきている。第二次世界大戦前の状況に近いではないですか。

 なぜ、愚かなこととわかっていても繰り返されるのか?それは人間が変わらないからです。人間の「業」といってもいいのかもしれません。その業の根源にあるのが「煩悩」です。よく耳にしますよね。私は仏教徒ではありませんが、「煩悩」に関することについてはとても理解できます。

 以下に、仏教では「煩悩」を貪瞋癡(とんじんち)と定義します。仏教における「煩悩」についての記事を引用します。

(Imidas 時事用語事典より引用)

(貪瞋癡とは)仏教において、人間を悩まし迷わせて害し、誤りに導く、根本的な3種の煩悩のことで、毒にたとえて三毒という。貪は貪欲(とんよく)ともいう。むさぼることを意味し、好ましいものに対する激しい欲求や強い執着を指す。瞋(しん)は瞋恚(しんに)ともいう。怒りを意味し、好ましくないものに対する反感や嫌悪を表す。癡は愚癡(ぐち 愚痴)ともいう。無知を意味し、仏教の正しい教えを知らないことを言う。貧瞋癡のなかでも、癡は煩悩の最も根本のものであり、無明(むみょう)とも称される。

 仏教で「煩悩」と定義されているのは、無くなることがないから、無くそうと努力しよう、という意味で定義されているのです。悲しいことですが、現実にはなくなることはない、ことを暗示しています。

 だから「歴史は繰り返す」のです。人間は大昔から消えることのない「煩悩」を抱え、他人の「煩悩」と戦わせるのです。それが戦争です。

 さらに、なぜかそのクールの巡りで、それなりの人物が歴史に登場するのです。戦後70年かけて積み上げてきたものが、何の前触れもなく崩されるのです。トランプ大統領しかり、プーチン大統領しかり、習近平国家主席しかりです。地球温暖化に関するCOPの合意事項や核拡散防止の動きも後退...何十年も苦労して積みあげてきたものが一瞬でパーです。

 日本の政治状況も...でしょう? 哲学者でなくても、憂鬱になります。平家物語を読んだりすると、世の中に絶望して出家したりする武士が登場しますが、なんかそんな気持ちがわかる今日この頃です。出家もできずに「戯言」を言い続ける私も大きな口をたたける立場ではないですが。

世界の平和をお祈りします。

合掌