今日は、今はやりの話題「キャリア教育」のお話。
いきなりですが、皆さんは「働く」とはどういうことだと思いますか。「働く」ことと、自分の思い描いていた「自己実現」は一致していますか?一致していたら、よほど稀有な例だと思います。そして素晴らしいことです。人々の命を救いたいと願い医者になった...宇宙飛行士にあこがれて実際宇宙ステーションで働いた...小さなころからメジャーリーグでワールドシリーズで優勝することを夢見てきて現実に優勝した...本当に素晴らしいことです。
「働く」ことの意味を考えるキャリア教育の方向性として、「夢を持つこと」「将来を思い描くこと」は正論ですが、それだけに終始しているような気がします。現在の「キャリア教育」は何もわからない小・中・高生に「働くこと」=「自己実現」という甘い誤解を植え付けているように思います。私は持論として、「キャリア教育」の基本は「食べるために働くのだ」という原始的基盤の理解だと思っています。好きも嫌いもないのです。働いていて生きがいが感じられない...よく聞くフレーズですが、関係ありません。生きていくためにはイヤでも生きがいを感じなくても働かなくてはいけない。その理解がなくては「キャリア教育」は存在しません。その「覚悟」がないから、絶望するのです。やる気を失うのです。途上で自分の職業が「天職」と思う幸運な場合もあるでしょう。でも、ほとんど8割以上の人は「天職」とは思えていないはずです。ですから、「趣味」があるのです。本来の自分はこうなんだ、と自分を慰め、鼓舞するために「趣味」があるのです。
キャリア教育は「遠い将来」だけでなく「近くの足元の現実」を交互に確かめながら進めるべきだと思っています。その足元とは何か、教科の勉強です。目の前にある「足元」の教科の勉強をおろそかにしていては自分が何に向いているかわかるはずはありません。頭を抱えるくらい教科の勉強に没頭すれば自然と自分が何に向いているのか(向いていないのか)がわかります。その先にあるのが学部・学科です。その先に何の研究をするのかがあるのです。そのくらいの勉強量がなければ、将来になんて結びつくことはないのです。教科学習が思うように成果が上がらないから、モチベーションだけでもアップさせよう、夢を持たせよう...としているとしか思えないのです。「キャリア教育」は「自分探し」だとよく言われますが、全方向に向いているわけではありません。ベクトルは結局は高等教育に向いています。それもおかしい。私は、学問に向いていないのなら、大学に行く必要などないと思います。専門職で「職人」を目指せばよいのです。また、職をもって大学で何か学びたくなったら、社会人入学をすればいいのです。現在の世の中はそれを許容してくれます。その一歩一歩の作業を飛び越して「将来の夢」はないのです。「有名大学を出たから...」なんて時代は終わりました。いまこそ、真の意味での「キャリア」を目指すべきです。また、若者には目指させるべきです。
そういう自分はどうか?私はラッキーだったと思います。ただし、本当に教職が「天職」と思えたのは教員になって20年以上も経ってからのことです。死ぬまで「キャリア」は続くと思います。我々のような高齢者でも若者に負けない意識をもって一生を過ごしたいものです。
