今日は、私の子どもの頃のクリスマスのお話。
街はクリスマス一色。どこへ行ってもクリスマスソングが流れています。みんな楽しいんだろうな...と思います。私のような高齢者でさえ、何かウキウキするんですよ。
今でも思い出します。幼い頃のクリスマス。考えてみればもう半世紀近くも経つんです。当時は昭和30年代の後半、西岸良平氏の漫画「3丁目の夕日」の世界です。昔は、時間がゆっくり流れていました。歌謡曲のヒット曲の人気が半年近くも続く...ですから5年~10年単位で周囲の風景が変わる...そんな時代でした。今のようにすべてが高速に変わる時代と違うのです。大型ショッピングセンターもなく、「八百屋」「魚屋」「肉屋」「豆腐屋」...とそれぞれの専門商店が軒を連ね、主婦は専業主婦が普通で買い物かごを片手に毎日買い物しておりました。男は仕事、女は家事、今からすると時代錯誤ですかね。
そういう「3丁目の夕日」の世界でのクリスマス...だれもサンタクロースがいるなんて信じていません。ようやく戦後から脱し、白米はふつうにお腹一杯食べれらる。ただ肉類が特別な時以外は食卓にあがらない、そんな時代でした。子供たちがクリスマスプレゼントなんて望むこと自体無理だったのです。実は一度期待したときもありはました。クリスマスの朝、期待に胸を膨らませ目を覚ますと、私の枕元に置かれていたのは包装紙に包まれた父親の会社の販促品のボールペンとノート数冊でした。子どもながらに、落胆した表情を浮かべてはいけないと思い、嬉しそうに「ありがとう」といった覚えがあります。その時、「そうかい」と母親が一瞬見せた寂しそうな表情をいまだに覚えています。二度とクリスマスプレセントに期待しないようにしようと心に誓いました。我が家は貧乏だったのです。でも、当時はみんな貧乏だったのです。当時は洋物の人形劇である『サンダーバード』が子どものあこがれで、デパートの玩具売り場には秘密基地が売られていました。誰も買うことなんてできないのです。玩具売り場のコーナーには鼻たらし(昔は栄養状態も関係してか鼻をたらしている子が多かった)どもがその秘密基地にたかっていたものです。食べ物もそうです。今では、『ケンタのクリスマス』なんていってとても華やかで楽しそう。当時は状況が状況ですから、肉屋の前にあるローストチキンのロースターでチキンの丸焼きがゆっくりいい香りをたてているのを兄と二人で物欲しそうに眺めたものです。それを見ていた母親が、かわいそうい思ったのか、買ってくれました。言葉通り飛び上がって喜んだのは言うまでもありません。クリスマスケーキも我が家は25日でした。当時はバタークリームのケーキでしたが、25日に半額になるのです。母親も心得ていて、25日になれば倍食べられるよとの説得をします。(だけど、倍食べることはありませんでした)※そういえば半世紀前は25歳までに結婚しない女性は「クリスマスケーキ」(行き遅れ)などと言われていましたーまさに『ふてほど』の極致ですね。クリスマスツリーは、母親が実家からもらっきた南天の小さな木に輪っかになったウイスキーボンボンみたいお菓子を糸でぶら下げてつくった覚えがあります。雰囲気を出すために、停電(当時はよく起こった)用のろうそくに火をつけて家族で眺めたのが懐かしいです。その両親も他界し、私も兄も高齢者になりました。
今、ラジオで「ワム」の『ラストクリスマス』が流れています。セピア色に彩られたクリスマスを思い出しながら、時の流れをしみじみと感じています。貧しいながらも、爪に火をともすような生活をしながら私たちを何不自由なく大学まで進学させてくれた両親に感謝です。今から思えば、そのように慈しみ育ててくれたことこそ、最大のクリスマスプレゼントだったのかもしれません。
