今日は、ずっと続けてきた「年賀状」のお話。
毎年、年末になると出してきた年賀状。最近ではSNSの普及で年賀状を出さない人も増えているとか。確かに、私の年賀状もほとんど印刷で、一言、二言添えるだけのものになっています。そして令和6年になっての郵便料金の値上げで、年賀状を出すのを今年限りにする人も多くいるのでは、とニュースに流れていました。
私もその一人になりました。さすがに、義理を欠けない人には、相手からの申し出があればともかく、出し続けると思います。出す、出さないは結構神経を使います。相手が出していないのに、自分は出してしまった。前の年に出さないのにもらってしまったので今回出したら、相手からは1月7日になって届く...昔は、相手が年内に出したかどうか(私の年賀状が届く前に投函してくれたかどうか)消印でわかったのですが、最近では「年賀状」は消印を押されないのではっきりわからない...別に気にする必要はないのですが、少し恥ずかしい、気まずい...その上、お互い、ほぼ印刷の年賀状...確かに意味ないな、と思ったりします。
ただ、一つ気がかりなことがあります。私のような高齢者になると年賀状は、新年のご挨拶と同時に「生存証明書」だったりするわけです。印刷しかされていない年賀状からも「お~い、俺は生きているぞ~、お前も生きてるか~」の声が聞こえるような気がするのです。年賀状の終いの挨拶の最後にはメールアドレスをつけて「もし連絡を取り合うならここへ」みたいな文言もつけますが...たぶんメールは来ないです。「生きてるぞ~」はモールス信号のようなもので、メールで連絡を取り合うほどの内容ではない...でもお互い繋がっている...そういった阿吽の呼吸のなせる技なのです。
おそらく、ここ数年で「年賀状」という習慣は滅びていくのではないかと思います。その場に立ち会うのは本当に忍びないです。私もその習慣を終わらせる一人と考えると心が痛みますし、寂しさを感じます。心で繋がっていれば、年賀状出す、出さないは関係ない!と自分の心を欺きながら最後の年賀状を投函しました。
皆様、よいお年をお迎えください。
