おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

もう言ってはいけない?「男らしい・女らしい」🧑👩‍🦱

本日は「男らしさ・女らしさ」についてのお話。

 もう本当に人前ではいってはいけないのでしょうか?「あの人は男らしい」「男の中の男だ」「イイ男」「イイ女」、もしかしたら、あの往年の青春ドラマ『俺は男だ!』もお蔵入り?「男は黙ってサッポロビール」のCMもだめ

 何がダメなのか、どこが不適切なのか、私なりに考えたいと思います。「物事」には、区別するときに基準が存在します。「物事」別に、区別や基準が変わるということを認識しなくてはいけません。私は、基本的には「上下」関係か、「並列」関係かのどちらかと思います。例えば「善悪」は「善」が上であり、「悪」が下であるのはほぼ万人の納得することです。それでは「男女」はどうでしょう。「男」が上で、「女」は下?それとも逆?いいえ、「男女」は並列関係だと思います。上でも下でもないんです。それを誤解している輩が「パワハラ」とか「セクハラ」を起こすのです。並列を前提として今度は考えましょう。「オス」と「メス」は生物学的に違います。元々違うのです。同じであったら、オリンピックもすべての競技男女一緒にしたらいいのです。「男」の多くに共通する性格や性質、「女」の多くに共通する性格や性質、それを「男(女)らしい」と言ってはいけないのでしょうか。「多くに共通する、でも全部に当てはまるわけではないから」『~らしい』と表現しているのです。それを男女差別のシンボルのように言うのはどうでしょうか。きっと、その表現が許せない人たちは、「男」「女」にカテゴライズされるのが嫌なんだと思います。でも、その範疇から少々ずれていたって堂々としていればいい。だれも責めません。責めてはいけない土壌は世の中にできています。多様性が今ほど声高に叫ばれている時代はありません。だからといって、「男らしい」「女らしい」という表現まで使うな!というのは横暴です。

 突然、人間は平等な存在して歴史に登場したではありません。この世の中には、今でも「男系家族」「女系家族」は存在しますし、「男(女)らしさ」は言語における男性名詞・女性名詞・中性名詞の存在でも明確です。太古の昔の土偶は女性でした。現在でも「母性本能」(最近は「父性本能?」)と言う表現は差別表現ではないはずです。この本能が欠如しているから自分の子どもを虐待したりするのです。また、観音様だって「女性らしい優しさと包容力」があるから観音様なのでしょう?私は、男の観音様になんてそばにいてほしくありません(もしかして、これセクハラ?)。人間はどこかで「男」と「女」を区別しているのです。地球も「母なる大地」っていうでしょう。本能的に感じ取っているのかもしれません。もしかしたらDNAに組み込まれているのかもしれません。その本能的な感情をここ100年やそこらの理屈や理論で論破したらいけません。感情は論破するものではないのです。また、「らしさ」に反対する人々だって「身体は男、だけれど心は女です」って言っているでしょ。そこに使われている《女》はどんなことを言いたくて使っているのでしょう。言葉の中に「女らしい性格・感情の持ち方」を含意しているのではないですか。自ら認めているではないですか「女らしさ」を。

 最近は現象的な面をとらえて「男(女)らしさ」をとらえている作家もいます。

医学的にも、右脳・左脳の働きによって男女差はあります。

次のコラムをお読みください。

Ene Mall (北海道電力)  日野佳恵子さんのコラムからの引用
前回のコラムで紹介された「女性のおしゃべり」について、男性からは理解できないとの意見が多数ありました。それもそのはず、男と女は性の異なる「異性人」なのです。

男と女は性の異なる「異性人」
おしゃべりに関する異性人(男と女)の脳の使い方の違いを説明しますね。
女性は、両方の脳を使って同時に考えます。左脳は事実認識する脳(分析の脳)で、右脳は「情緒や感情」、「感覚」の脳です。左右両方の脳を同時に使うことで、パッと目で見たものに対して即座に好き、嫌い、素敵、不快などの感情を持ち、すぐに言葉に出してコミュニケーションをとります。
つまり両脳が活発であると、視界→感情→言葉や表現という連鎖がスピーディなのです。

一方、男性は女性に比べ左脳が一般的に大きく、情報を片方の脳で処理します。左脳は「言論」「理論」といった分析の脳で、男性は左脳を使って考えるので、女性よりも分析力が高く、理論派が多いのです。
男性は、ひとつずつ脳の回路の中で分析をしながら、理路整然と話す脳であるのに対し、女性は話しながら脳で別のことが次々に閃くのです。話題が飛んで何がいいたいのか分からないと感じてしまうのもこのためなのです。

また、生物学的な違いも影響しています。
男性は本能的には狩りをするため目的に向かって難題、課題を解決し、獲物をとることを一直線に考えます。スピード、合理性が重視され、さらに獲得するための道具や武器も瞬間判断が必要です。ですから、男性にとっておしゃべりは、物事を解決するために使う解説書のようなものです。
それに対して女性のおしゃべりは、仲間づくりをして、自分の味方を増やすための大切な行動であり快楽なのです。

男性のみなさん、女性のおしゃべりは、男性が何か好きな趣味に没頭すると何時間かけても平気なのと同じように、いつまでも飽きない楽しいことなのだと考えて頂ければ理解できるのではないでしょうか?


次回は女性から男性に思う「どうしてこうなの?」の第1位「どうして男性は見栄っ張りなの?」についてです。お楽しみに!

<出典>
京都大学名誉教授 大島清 「女心を見抜く20の急所」
●メンタリスト DaiGo 「男女脳戦略。」 Kindle

 どうですか?それこそ「あるある」でしょう?なんで「男らしい」「女らしい」って言ってはいけないのですか?もちろん、明らかに差別的な表現はいけません。いつも主張していますが、それは法律ではなく「マナー」です。「女女しい(めめしい)」、「女の腐ったの(よく男子に対して親が言った言葉です)」「女だてらに」「男勝り」「出戻り」なんてのは悪意が感じられるので当然アウトです。逆に、男性に「濡れ落ち葉」だとか「甲斐性なし男」「お父さんみたいな男になったらダメよ」もアウトなのです。

 ただ、それ以外は使わせてください。お願いだから。黒沢明監督の『七人の侍』に出てくるような男たちを、ハンフリーボガート主演の『カサブランカ』に出てくるリックやルノー署長を「男の中の男」、「男も惚れる男」と声高に叫ばしてほしい!「170cm以下の男に人権はない」などと何度も繰り返し発言している人がいる世の中なのだから、せめてそのくらいは許容してほしい

 世の中を見回してください。もちろん男女差別はいけません。ただ、「人権」自体がないがしろにされていることが他に一杯あります。攻撃しやすいところを言葉尻を捕まえて攻撃するのではなく、攻撃しなくてはいけないことを皆で正していきませんか。

※皆さん、ハンフリーボガート主演の『カサブランカ』を一度ご覧ください。絶対、私には真似できない「男の中の男」が出てきます。あの主人公リックを「表面的には冷徹に見えるけれど、本当は心優しく、思いやりがあり、自分を犠牲にまでして昔の恋人に最善の選択をした人」と形容するより、やはり「男の中の男」と形容したい「おじさんの戯言」でした。主人公のリックに「ごちゃごちゃ、うっせーわ」と言われてしまいそうですが。