本日は「言わなきゃいられない」人々のお話。
現代は自分の主張を世の中に人たちに訴えるには本当に恵まれている時代です。昔、英語の教材で、イギリスでは「ハイドパーク」という公園に『スピーカーズ・コーナー』と言う場所があり、自分の主張をしている(今でもそうでしょうか)...そんな英文を読んだ覚えがあります。もう半世紀前の内容ですから、下地には国からの「こんな風に西欧人は自己をしっかりもち、それを堂々と主張する...(日本人も見習うところがあるぞ)」のメッセージが下地にあったのではないかと今更ながらに思います。
ところが皆さん周りを見回してください。いまやSNS真っ盛り、私もやっているブログを始め、インスタ、TickTock、You-tube...あらゆる自己主張、自己表現の場が設けられています。ある意味では誰もがラジオ局、テレビ局をもっているのと同じです。太古から存在してきた、哲学者や思想家は地団駄を踏んで悔しがっていることだと思います。すごいことです。逆に、放送局と同様なことができる権利を持っているのですから、我々『私的放送局』は同様に責任と義務を負うべきです。現在、放送に関する倫理に関してはBPOにより規制されています。我々もそうすべきです。
SNS上は現在無法地帯です。閲覧回数を稼ぐために、わざと他人に迷惑をかける「バイトテロ」のような記事・公序良俗に反する下品な投稿・ファクトチェックせず、憶測を伝える記事・デマ承知の上でのデマ記事、自分の努力ではどうにもならない身体的特徴を口汚く攻撃し世間をあおる記事、またそれに対する反応を装い、さらにあおりその応酬で閲覧数を稼ごうとする記事、このような内容の記事は自己主張ではありません。こんなことを許すため先人たちは命を張って「言論の自由」を勝ち取ってきたわけではありません。言葉による暴力です。ある意味では犯罪です。物理的な暴力ならば時間とともに癒えますが、言葉による暴力は、一生心に傷が残る危険性もあります。また、運よくSNS上の「加害者」が判明しても、それほどの罪に問われていません。垂れ流された情報は、真偽にかかわらず、残ってしまうのです。『デジタルタトゥー』です。私たちは、BPOのような規制をはじめ、何か対策をとるべきだと思います。それでは、どうすべきか?
このような事態になっている原因の大きな要因は「匿名性」にあります。「匿名性」をいいことに、「死ね!」「くず!」「世の中から消えろ!」と赤の他人に叫ぶのです。発信した人間はそれほどの気持ちで言っていないかもしれません。おそらく鬱積した単なる不満のはけ口なのかもしれません。はけ口にされた方はたまったものではありません。昔は、穴を掘ってそこに向かって叫んでいたことを、今はSNSを使って全世界に発信しているのです。それを見た人間がいや~な気持ちになるのがわかっていて発信しているのです。愉快犯です。それで、何をすべきか。発信する際すべての身元を公表する必要はありませんが、少なくても、発信した人間の身元はもし重要な瑕疵が発生した場合後からでも調べることができるように記録を残すべきです。「言論統制」では決してありません。敵が誰かもわからず、暗闇の中でボコられている小市民を守る防衛です。そうすれば、(デマやリベンジポルノとわかってても)悪意を持って拡散する輩は激減するはずです。少なくても、事実かどうか少しは考えるはずです。「匿名」だからやるのです。現在、街の防犯カメラの設置についてはプライバシーの侵害だから反対するという声は以前より少なくなってきました。駅でのトラブル、路上での犯罪、闇バイト等による押し込み強盗の解決に明らかに役立っているからです。また、防止にも役立っています。私の町内では大きく「防犯カメラ動作中」と表示してあります。防犯カメラに写っている街かどのラブシーンなんて確認している暇人などいないでしょ?SNSでも同じように監視すべきです。今朝、SNSに次のようなニュースが掲載されていました。信じられます?明らかに犯罪をあおるような書き込みがされ、法律ではどうにもならない...BPOのホームページを見ると20条近くの規定が書いてあります。個々の人間に「私たちは、放送局と同じ機能を有しているのだからこの規定を同様に守るべきだ」なんていっても無理でしょう。まずは「匿名性」を維持するにしても、最終的に記録に残っているんだぞ、自分の意見に責任をもてよ...という形にすべきだと考えます。それが第一歩だと思います。

この記事を書いている最中に、あらたな犠牲者が出ました。兵庫県知事の百条委員会の元委員の竹内英明氏の自殺です。前日には、立花孝志氏による警察による動き(結局デマ?)のSNS投稿がなされていました。立花氏は、本日(1/20)記事の訂正と謝罪をyou-tubeでしたとの情報が流されましが、それでOK?一人の人間を死に追いやった責任をどうとるのですか?たぶんほとぼりが冷めるまでじっとしているのです。SNSの投稿で職も失い、家族も危険にさらされ...さぞ、精神的に追い詰められたんだと想像に難くありません。何しろ、自宅にまで押しかけ脅す人間ですから。一緒にSNSで煽った人間も同罪です。弱者を守るべき警察はいつも悩まずに相談を...と言いながらいつも「民事だ...」「実害がないと動けない...」そればっか。ストーカー殺人だって、わかってて何人殺されました?法律家も、「なかなか難しいですよね」などと他人事。コメンテーターも「一人で悩まず相談窓口へ...次のコーナーへ」で流すんです。また、この件も忘れ去られ、新たな犠牲者が出るのです。狂っているとしか思えません。
それでは一般の人たちはどう思っているのでしょう。
この自殺に関して斎藤元彦兵庫県知事の談話がYahooニュースに流れました。その書き込みの一つに次のようなものがありました。

どうですか?これが平均的な人の反応です。今までのSNSの動きを見てて頷けます。「いかに無視するか、気にしない、ということを徹底できるかが大事なことだと思う」に対して、「共感した」「なるほど」が全体の90%をしめているのです。「匿名者が自由気ままに発する、どうでもよい意見」で今までにも何人もの人が命を絶っているにも関わらずにです。こうのような意見を全く否定しているわけではないのです。でも今までに亡くなった方は、SNS投稿などで「死ね!」「くず!」「世の中から消えろ!」と赤の他人から何百回、何千回、何万回、言われたはずです。検察で、容疑者が取り調べで同じことを「お前が犯人だ」と決めつけれて自白する以上の精神状態になるのです。「自ら命を絶つ」ということは、本能では考えられません。根拠のない誹謗・中傷を受けるというのは、言い換えれば(先ほどにも書きましたが)暗闇の中で相手の存在が見えずボコられているのと同じなんです。きっと絶望感しかなくなるのです。その立場に身を置けば、どんなことだか理解できると思います。そういう危険性も、自分にその害が及ばない限り良い?それではあまりにも悲しすぎます。それを無視する、流せるのは、命のない路傍の石か、悟り切った聖人だけです。
繰り返します。まずはSNSは「匿名性」を維持するにしても、最終的に記録に残っているんだぞ、自分の意見に責任をもてよ...という形にすべきです。
みなさんそう思いませんか?