本日は、「自己嫌悪」のお話。
私は、品行方正な老人の1人だと思っています。昔気質の親に「他人(ひと)様に迷惑をかけるのだけは勘弁してくれ」(何が勘弁してくれなのか今だに謎ですが)と育てられたこともあり、よく世間で言われる「老害」とわかっている行動はとることはありません。
悲しいかな、そんな私も年を重ね、我ながら情けないなと思う感情を持つことがあります。これでも毎日、『般若心経』を唱え、「無の境地」を理解しようと努力はしているのですが、「楽したい」「得をしたい」といった『煩悩』を消すことは難しいようです。小心者の私ですから世間を騒がせるような『煩悩』を持つことはありません。ただ、小心者だからこそ、自分でも情けないと思える感情を持つことはあるのです。
本日は、そういった「自己嫌悪」を感じる瞬間のエピソードを紹介します。皆さんは次のような感情を持ちませんか?
〇長蛇の列の最後尾
長蛇の列の最後尾に並び、列が徐々の短くなってきてる。にも拘わらず、私は「最後尾」のまま...別に損したわけでもないのに、「速く私の後ろに並ばないかな...」と前に進んだことよりも後ろばかり振り返っている自分が恥ずかしいです。
〇閉店前の割引
よく、スーパーで閉店前になると割引をしますよね。私も利用します。スーパーの値引き商品を30%オフで購入したあと、偶然売り場に戻ることがあって半額になっている。30%オフなんだから、得したんだと納得させようとしても損した気持ちになる浅ましい自分の姿、恥ずかしいです。
〇自分勝手な気持ち
スーパーのレジで、1円単位まで揃えてぴったりと払おうとする老人の後ろに並び(それだけでも少しイライラ)、最後にやっぱり1円足りないやといって万札をだした時、心のなかで舌打ちしてしまいます。心の狭さに自己嫌悪を感じます。
〇座席確保に真剣
老人になると電車で座りたい...だれでもそう思いますよね。整列乗車で一番前に並んでいたのに後からきて要領よく、座席を確保した人間のうらやましいこと。自分の浅ましさにうんざりします。
〇座席確保に真剣、その②
ある程度もう席は埋まっている電車を想像してください。座りたいと思うと、予測をつけて「あの人は次の駅で降りるな...」とあてをつけて前に立つことありません?にも拘わらず降りる様子を示しながら降りない...周りの人間は、リズムよく入れ替わっている...のに私の前のアイツは降りない....結局最後まで降りない...降りそうな素振りを見せるな...と理不尽な怒りを感じる恥ずかしい私。
もっとゆったりと構えて、生活をすればいいのにと思いながら、「自己嫌悪」を感じる毎日です。懺悔のようになってしまいましたが、この場をお借りして話させてください。また、「自己嫌悪」を感じる日常のお話をさせていただくこともあるでしょう。懲りずにお付き合い願えたらと思います。
