おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

慣れれば天国!?😉

本日は、「慣れれば天国」お話。

 人間は基本的に「変化」に抵抗します。押されれば押し返すし、引っ張れれば、引っ張り返す。『お上』から上意下達のごとく指示が出されたりすると、まずは抵抗します。でも、ある程度我慢して従がっていれば「よい方向へ」社会生活が変化することがあります。いくつか例をあげてみますね。特にZ世代と呼ばれる人たちは当たり前になっていて、そうだったの?と思うことだと思います。

「喫煙」

 以前は、皆平気で吸っていました。会議室には灰皿が風景の一つになっていましたし、煙たい中での会議は当然でした。もちろん、歩き煙草はあたりまえ、なにしろ、JRの車両のボックス席には灰皿がついていたくらいです。当然、駅にはホームに何か所も喫煙スペースがありました。信じられますか?次のグラフは喫煙率調査です。

日本専売公社日本たばこ産業株式会社による調査より

 (JTによる「全国たばこ喫煙者率調査」2018年調査をもって終了しています)

 左の縦の座標の数字は%ですよ!ですから、会議室が「紫煙」で煙いのも頷けます。当然、中高生の喫煙による特別指導も花盛りでした。よく「謹慎指導」をしたものです。それが、現在は、14.8%(2024/8/28 -厚生労働省の2022年国民健康・栄養調査)。行政指導や自治体の取り組み、あと社会の健康意識の変化、また核家族化による夫婦の力関係の変化も大きいですね。さらに愛煙家を度重なる値上げが追い詰めています。「愛煙家」からの抵抗はあるものの、この「正」への変化は大きいのではないでしょうか。

「犬の放し飼い」

 以前は、犬の放し飼いは普通でした。犬小屋はあっても、繋がれていた犬は少なかったです。私も小学生の頃、近所の犬に嚙まれました。今でも、噛まれた時に「麻痺した(しびれた)ような痛さ」は覚えています。いなくなりましたね。放し飼いの犬、また野良犬...最近では「フン害」なども騒がれているので、犬の散歩の際には「マーキング」を申し訳程度に消すペットボトルみたいなものを携帯している飼い主も増えました。いつから、そうなったのか...1973年に議員立法で制定された「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護管理法)が契機ですね。「愛犬家」にも申し訳ないですが、良かったです。

「ゴミの分別」

 「ゴミ出し亭主」などと用語が生まれるくらいに「ゴミの分別」は日常になりました。私が子どもの頃(半世紀以上前)は近所にコンクリート(またはブロック)でゴミ捨て場があり、何でもかんでも捨ててました。異臭を放っていました。いまでもその異臭は覚えています。今ではどうでしょう。生ごみと包装プラを一緒に捨てるのは抵抗があります。自治体によっては10種類くらいの分別となっているのでは。資源ごみの日など、新聞・雑誌や「衣類」など見事に整理されています。一人旅をするときに部屋のゴミ入れが一種類しかないと、どうしたものか...と自分でビニール袋を使って自主分別したりして。30年以上前でも地方でビックリしたことがあります。友人と「利尻・礼文」に旅したことがありました。札幌から稚内まで鈍行(だったかな)に乗車しました。面白い車両でお座敷のようになっていました。のんびりしたもので、おつまみにビール(旅の醍醐味です!)、同じ車両に乗っているおばあちゃんがゆで卵をくれたり、煮物をわけてくれたり、カニ(?)もどこかの市場で仕入れたかな...あったような気がします。当時はスメハラなんて意識もない時代、窓を大きくあけて一種の「走る宴会場」と化しているのです。あまり人も乗っていないのです。そろそろ終点で、片付けに入ろうかな..このゴミはどうしようと、酔っぱらった頭で考えていたところ、先ほどのおばあちゃんが再び登場、「何やっているのかな、簡単、簡単」といってテーブルに広がっていた新聞紙(カニなんてあるので敷いていたもの)をゴミごとばっと窓から捨てたんです!「え~っ、いいんですか?」(絶対によくない)(分別以前の問題)。でっかいどう、北海道からすれば、たいしたことないとは思うけれど、う~んと考えてしまいました。そして、現代の「ゴミ分別」です。すごい意識の向上です。もちろん、だらしない人は相変わらず、分別を意識することなく捨てていると思いますが、ほぼ100%の人はやっているのでは、「慣れてしまえば苦しくない」の典型ですか。

「電車の網棚の新聞・雑誌」

 ゴミに近いお話ですが、網棚に新聞・雑誌なくなりましたね。昔は、読み終わると網棚に捨ててました(というより、次に読みたい人がいたらどうぞ...みたいな)。普通に網棚の新聞・雑誌読んでました。車掌さんが点検で巡回しているときなど、網棚から漫画の本を拾って(?)小学生の私にくれたことも何度かありました。いつの間にか、それもなくなりました。車内の美化意識の向上ってやつですか。

マイバッグ」 

 一番新しい意識変化の例は「マイバッグ」ですね。小泉進次郎氏が環境大臣の時に始めた店舗でのビニール袋の有料化に端を発した「マイバッグ」ですね。私も、いつもポケットに近所で買い物をした際もらった(買った)ビニール袋を入れています。エコですね。ただ、コンビニの時なんて、マイバッグ(ビニール袋)に入れるのに少し手間と時間がかかり、店員と後ろに並ぶ客の視線が痛いです。あと、旅行先で買う何軒か分の土産物も個別に袋が欲しいのに有料、それも痛いです。でも、慣れてくると、マイバッグを忘れて買うはめになると、何か後ろめたい気持ちなる...意識の向上ですかね。実はビニール袋をこんな風に節約しても全体の何パーセントにも見たないと言われています。が、「無駄を省こう」「環境について考えよう」というは意識は持つので、他のことにも波及していくような気がします。悪いことではありません。

 「お上」から出された指示は悪いことばかりではないということです。ただ、「指示」が多くなると残念ながら「指示されたこと以外はやらなくていい」という逆の弊害も出てくるような気がします。昔から習慣としてあったマナーが消えていくことです。毎朝出がけにあう近所の人に「なぜ挨拶をしなくてはいけないのか」となるのです。「町内会って入らなくてはいけないんですか?義務ですか?」となるのです。最近、近所に新しい住人が引っ越してきた(?)ようですが、挨拶まわりをしない...(義務ではないですから)。知らない人が出たり入ったりしている...あれって誰?だから、たまにあっても、相手が目をそらしたりする...ましてや昔ながらの路地にある住宅だと...とても気まずい。大家さんがアドバイスしてあげればいいのに...義務でないのでしない。大家さんもその意識がもうない。また、以前は、家の前は必ず掃除したものですが、マンションが増えたことも関係し、「管理人がやるだろう」「だれかやるだろう」で、ごみが路上に舞っていたりするんです。

 難しいものですね。「公」と「私」のバランスって。これからの時代は、「お上」からの指示が中心の方が最終的に社会は「暮らしやすくなるのかな」と思う今日この頃です。