本日は、「時の流れ」についてのお話。
「私の若かった頃は...」というのは若者が「うざい」と一番嫌う年配者の言葉のベスト10に入っています。昔のことを言い出したら、年取った証拠とも言われたりします。説教をしたくて話し出す老人はいます。私は66歳ですが、周囲にはもっと人生の先輩がいて(なにしろ65歳以上が人口の1/4ですから...)私に最もらしく「こう生きるべきだ」とお話をくださる人もおりますから。今更、人生についてアドバイスをもらっても先が長くありませんが。ただ、説教がしたくてそう言っていない場合がほとんどですから、高齢者がそう言い出しても、また同じ話が始まったと思っても、大目にみていただけたらと思います。途中で、「あっ、この話そういえばこの間も話したよな...」と気づきながら中々自ら切ることもできませんので。
誰でも年はとります。
なんかの拍子に年を意識して愕然とすることがあります。高校生くらいの若者が「自分が生きてきた人生の中で一番幸せです」なんてことをインタビューで答えていたりすると高齢者のどこかに刺さります。もう私は4倍近く生きているんだけど...一方、藤井聡太棋士のように、まだ20前後なのにすでに人生を達観したような仙人ような話し方を耳にしたとき、長く生きているだけかな、俺って...みないな。
高齢者が昔の話をすることに関して知っていてほしいことがあります。高齢者は昔を思い出すとき、高校生と違います。何しろ「自分が生きてきた人生」がやたらと長いので段階があります。「この間~へ行ったとき」「つい最近のことだけど~」といったら20年程度前のこと、「若かった頃」と言うときは、30~40年前のことが多いですね。さらに高齢者が「昔はね...」と話し出したら50年、半世紀近く前のお話です。それを頭に高齢者の話を聞いてみると「あるある」って感じに思えると思います。先日、カミさんと一緒にパリに行った話をしていて、ルーブル美術館がいかに大きく、歩くだけで疲れたかと思い出話をしていました。まだ寒い3月のパリの「シテ島」で食べたアイスクリーム(名物なので寒くても無理に食べた)の話や、パリ到着初日に行ったパリのデパ地下で総菜のミートボールを購入する際、英語で言ったらフランス語で言い直された...出るわ、出るわ、思い出の数々が...この間のことだけれどいつだったっけ?エッフェル塔に確か2000の文字がライトアップされていたから、今から25年前...先日珍しく私たちでもわかる(認識できる)歌をテレビで流れていたのでよくよく見ると「懐かしの歌声」で1980年代...さらに20年さかのぼる...絶句の世界ですね。何十年も前のことは昨日のことのように思い出すのに、昨日の夕食はあやふや?明らかに「老人」?ボケ始めている?
やはり、哀しさを感じますね。年をとるって...先日(とっても、もう6年前)還暦のお祝いを兼ねて同窓会がありました。高校、中学、それぞれであったのですが、やはりショックですね。記憶の中では、人は年をとりませんから若いまま、幼いままでいます。突然50年近くも年取った人間と再会するのですから、まさに玉手箱を開けた「浦島太郎」でした。きっと、級友たちも私を見てショックを受けたことと思います。理由はわかりませんが哀しさを感じます。
最近、年をとったせいか、ふとした瞬間に自分のしでかした失礼や無礼を思い出すことがあります。よく、記憶は自分の都合の良いように書き換えられるものだ、と聞いたことがありますが、私は逆です。その時はそんな風には思っていなかった出来事が今更ながらに思い出され「あれはこうすべきだったのかな...相手を傷つけたかも...」と後悔が走馬灯のように映し出されます。私は人生を黄昏ているのでしょうか。
いけない、いけない...人生100年時代と言われます。そう考えるとまだ1/3は残っている...「私の若い頃は」と始めてウザイと思われないように、あらたな「後悔」を走馬灯に加えないように身の丈に合った1/3を丁寧に生きよう...そんなことを想う「おじさん」でした。
「年寄り」の戯言におつきあいいただきありがとうございます。
