おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

選択的夫婦別姓、あなはどうする?🤦‍♂️🤦‍♀️

本日は、選択的夫婦別姓のお話。

 最近では、『選択的夫婦別姓』の問題が国会でも話題になっています。

  

 「姓名」のうち、理屈で考えれば「姓」に絶対的アイデンティティはないと思います。あるとしたら「名」の方です。だって、「姓」はもともと個人にひもづけされたものでなく、先祖代々夫か妻の姓に変えてきたわけですから。何代かさかのぼれば、全然違う「姓」の可能性だってあるのです。ましてや子どもが10人なんて家が珍しくなかった時代は、養子縁組は親戚同士でよく行われ「姓」で親子関係を特定するのが厳しいこともあったのです。それに「姓」自体、一般庶民は「苗字」が必要になり適当につけた場合も多いのですから。

 ただ男性にせよ、女性にせよ「姓」にそれでもこだわりたい...いうなら「選択的夫婦別姓」もよいのではないかと思います。私は、この問題は、アイデンティティとしての「姓」の問題ではなく昔から多くのカップルは何となく男性の方の姓を名乗ってきた、そういった惰性に近い理由で自分の長く使ってきた「姓」を変えたくはない、押し付けられたくはないという女性からの強い思いではないかと思います。また日本の「姓」は言葉だけではないのです。言葉に色々な種々雑多なものが付属してついてくるのです。それは男性も女性も同様です。「長男だから」「長男の嫁だから」「ここへ嫁いできたからには...」→「~であるべきだ」となるのです。「個」ではなく「家」を中心とした根底に流れる思想は何気ない言葉使いにも表れています。女性の場合は『嫁入り』と言いますし、男性の場合は『婿取り』と言います(『婿入り』とも表現しますが)。

 ですから、そういった「しがらみ(あえてこの言葉を使いますが)」をなくすために「選択的夫婦別姓」はよいアイデアなのかもしれません。ただ、多くの日本人は残念なことに理屈では理解できるけれど、感情的に素直になれないでいるのです。結婚前夜に両親に嫁入りする娘が「長い間お世話になりました」と涙ながらに挨拶する...一方、男性は女性の家に行って相手の父親に「○○さんをください」といってなぐりかかられる...よくドラマで見られるシーンですね。なんとなく共感してしまいます。私も昭和世代ですから。そういった「結婚観」にまつわる感情がが、理解を妨げているのかもしれません。

 ただ、「選択的夫婦別姓」が法制化された場合2つの大きな問題点が出てくることが予想されます。

 一つ目は、理屈ではありません。単なる感情です。以前は「しゃ~ないか」で『嫁入り』し、旦那の姓になっていた...今でも旦那の姓を選ぶことができる...でもあえて旧姓を選んだ...どうなると思います。きっと旦那の家族、特に姑になる義母はきっと心の中で『なによ○○さん、うちの××のお嫁さんに本気でなる気がないんじゃないの、本当に××のこと愛しているのかしら』から始まり、さらに『むこうのご両親もそれを許すなんてどういう了見かしら』...旦那の方は案外とのほほんとしていて『べつにいいじゃない~』、舅さんもだいたいお嫁さんには甘いから『本人たちがそれでいいっていっているんだから、お母さん、もうよしなさい』、味方してくれるはずの子どもと旦那が嫁さん側についた...『キーっ』ですよ。結婚生活が始まる前からギャップが生まれます。橋田壽賀子のドラマ真っ青です。そういう考えが浮かぶこと自体は古い...と言われそうですが「感情」ですから仕方ありません。私の両親ならそうなりそう...ということです。

 その原因は日本の子育てと欧米の子育ての根本的な違いにあります。日本では「川の字」というと夫婦の間に子供が寝て...とあたたかい情景が浮かびます。また、夜泣きすれば両親が抱き上げてひどいときには(住宅事情もありますが)一晩中「よしよし」しながらあやしたりします。最悪の場合は夫婦そろって、目の下に隈なんてこともあるわけです。当然、我が子がすべての優先事項になり、それが小学校、中学校、高校、大学と過干渉ぎみにすすみ、結婚するわけですから当然結婚の相手にも口を出すようになります。その子ども人生の節目、節目には「お食い初め」から「七五三」...両家の綱引きがあったりして...子どもの「自己選択」、「自己決定」、「自己責任」などどこかに飛んでいます。その中で何十年も苦労して育ててきた母親からすれば息子を(たかが数年の付き合いの)嫁さんに奪われる...そんな気持ちになるのかもしれません。一方、欧米では基本的は赤ちゃんのうちから「子供部屋」が用意され、ベビーベッドをおいて少々泣いても相手にしない、構わない、泣かせっぱなしにしておく。自分たちの生活は生活で楽しむ、時にはベビーシッターに子供を預けてナイトライフを楽しむ。教育機関に進んでも「自己決定」で失敗したら、「自己責任」、当然結婚も本人同士のこと...かってにやって。どちらの教育がいいかわかりませんが、このような背景があって姑の「キーっ」となるのです。息子も嫁さんも覚悟はしておいた方がいいです。

 二つ目は、子どもが成長したときのことです。そろそろ結婚したときの情熱的な愛情は夫婦間にない(いつまで経ってもアツアツは結構なことですが)...子ども最優先事項でやってきたから「旦那」より「子ども」の方がよく見える...その状態で子どもがどちらかの「姓」を選ぶとなったらどうでしょう。それでなくてもこだわった「姓」です。子どもは大変悩むと思いますし、夫婦同士は当然のこと、夫婦の両家も黙っていません...最終的には人間は「本能」です。修羅場になると思います。今まで夫婦の間で積もり積もってきた「わだかまり」が爆発します。結婚の時ならどさくさ(失礼!)にまぎれてどちらかの「姓」にさわやかな若さの勢い(習慣?)でなったけれど、今回は違います。お互い知り尽くしたもう男女の壁を越えた老兵同士の戦い、キツネとタヌキの騙しあい...トムとジェリーです。さらに、現在離婚率も高くなっています。「離婚調停」で今でさえ「親権」争いで泥沼化しやすのに...考えただけでも震えがきます。

 私は、「選択的夫婦別姓」に賛成しよう、法制化されたら是非選択しよう、と思っている皆さん、最低以上のことを考えて選択すべきだと思います。昭和世代からの余計な「おせっかい」として心にとめておいてください。

 実は、コペルニクス的発想としては、一つ解決案があります。ウルトラCです。元々、「姓」は一般庶民は明治以降適当につけたものです。そうたいしたものではありません。夫婦別姓を選択した場合は、こどもが自由に「姓」を選べるなんてのはどうですかね。「武者小路」とか「綾小路」とか...ふざけすぎですか?ごめんなさい🙇