本日は「読書」のお話。
若者の読書離れがよく話題になります。いや、離れていない...デジタルで読んでいるんだ...漫画は読書と言えるか...案外と「読書」については話が盛り上がります。皆さんはどうですか?恥ずかしながら、私は高校生まではまったく「読書」をしませんでした。私は小さい頃から勉強が嫌いで、書店の前で動かなくなる秀才の兄と比較され、食堂の前で動かなくなるただ食いしん坊の弟として期待されずに育ちました。運よく、地元の進学校にすべりこみ、兄(すでに高校の英語の教師)の後ろ姿を追いかけながら都内の英文科に進学、現在(英語の教師)にいたるわけですが、高校生までの私を考えれば想像もできないほど読書をするようになりました。
きっかけは英文科に進み、「精読」→「速読」が求められるようになりペーパーバックをその訓練として読むようになったことでした。当然、英語を読むより日本語を読むほうが楽ですから、気晴らしに他の本も読む...はじめは軽い小説から読み始め、そのうち文学へ...その時代背景へ...思想へ...哲学へ...と広がります。読書は一方方向のベクトルではありません。同心円のように広がっていきます。さらに運よく英語の教員になったことで生徒の嫌う「長文読解」を指導することになります。内容は、当然高校生に知っていてもらいたいあらゆるジャンルにおける教養...しかも「長文読解」ですから、論理構造のしっかりした良質の英文を読むことになります。英文読解に苦しんだ人ならわかると思いますが、読解困難な英文ほど「日本語訳」より原文のまま理解した方がわかりやすいのです。内容も生徒の二倍も三倍も理解しきれないと教えることは不可能です。ですから、生徒よりも教師に読解力がつきます。そうこうするうちに、その「あらゆるジャンル」の興味はさらに広がり同心円は大きくなります。音楽や美術といった芸術の分野まで広がっていく...ある意味では個人の脳内でビッグバンが起き、膨張を続ける...そんなイメージさえ持ちます。
私は、教え子たちに英語を教えていますが、それ以上に「読書」の大切さを力説しています。小説を読めば、たった1回しか生きられない人生を何十回、何百回と生きることができます。また自分でオリジナルなものを「創る」場合も、すべてゼロからの創出より他の人の経験と考え方を知った上での創出のほうが絶対「奥深い厚みのあるもの」ができると思います。最初は漫画からでも良いと思います。是非、若い世代に読書習慣をつけてもらいたいです。
残念ながら、私がそのことに気づいたのはもう教員になってから随分経ってのこと。もっと読書をしておけばよかった...今は死ぬまでに読み切れないであろう本に囲まれながら読書を続けています。