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「デジタル教科書」本当に必要?Part 7💻

本日は「デジタル教科書」の是非をめぐる投稿の7回目。

 ここ数日、この話題ばかりで恐縮です。『読売新聞』の特集の<下>が掲載されました。最後の回では、実際に「デジタル教科書」を作成する際の課題について掲載されています。まずは記事をお読みください。

 まず、「デジタルありき」の姿勢の一つとして中央教育審議会作業部会での「国語の教科書の『横書き』もいいんじゃね(失礼)」の発言です。実は、日本語、アルファベットの縦書き、横書きについては理由があり、縦に読むと「横の線」が比較的多い日本語は瞬間的に「目に留まり早く読める」、英語はその逆であるから、日本語は「縦」、アルファベットは「横」となっているんだ、と大学生の時に読んだ本(外山滋比古先生の著書?)に書いてあり、感心した覚えがあります。それでは、社会や理科は?おそらくどちらも「科学」の一分野で西洋的な発想のもとに、図表や数字といったものを多用することからその方が「便利」だからだと思います。少なくても、いいんじゃね?で軽く流すところではありません。その程度の認識で「教科書」を語っていいのでしょうか。先日、昔の(みんな高齢者)教員が集まる機会(ただの「飲み会」)があり、国語の先生が「教員の卵」が模擬授業をした際「漢文」を横書きのスライドで説明しているのに、ビックリした、と言っていましたが、笑い事ではないのです。教科書がそうなる可能性が現実味を帯びてきたのですから。

 「教科書」ですから『検定』が入ります。みなさん、ご存知ですか?その『検定』の厳しさ...一字、一句、すべてにわたり『検定』されます。それに付属するものも全てです。現在でさえ、もの凄い労力が費やされています。我々教員が毎年教科書を選定する際、「これはダメ、全然なっちゃない...」などと軽口をたたきますが、出版社のまさに血のにじむような努力を考えたら執筆者がかわいそうと思えるくらいです。当然デジタル教材の良さを生かすならネット接続での知識の補完もでてくるはずです。接続先の情報までチェックをして『検定』するつもりでしょうか。おそらく不可能です。上記の記事でも『どこまでの内容を検定の対象とするのか線引きが難しい(幹部)』と言っているではないですか。「デジタル教科書」が運よくできたとしても、がんじがらめの規則に最大公約数的な無難な『教科書』ができあがるだけです。それは「紙の教科書」でも同じですが。そんなことに神経を使うなら、教科書の内容にもっとこだわってほしい。

 一番の問題点は「紙の教科書」or「デジタル教科書」の選択、としていることです。なぜ現在の「紙の教科書」で足りないところを「デジタル」で補完し、その「デジタル」の便利さや有用性がわかってきた時点でわかった教科の「デジタル」化を進める...といったことができないのでしょうか?現在、『学習指導要領』により多彩な学習活動が時間割の中に盛り込まれ、ある意味では「詰め込み」となっています。授業で丁寧な指導がしきれないのです。ですから「デジタル教材」での補完も有効だと思います。物事には「えい、や~」と大胆に物事を進めることも時には必要ですが、今回の「教科書」については「拙速」としてしか映りません。

 『読売新聞』はここ数ヶ月、この問題でキャンペーンを張っています。令和6年の10/22の記事あたりから、だと思います。内容的には、だいたい「紙」vs「デジタル」の是非、「デジタルありきの拙速性」だったと思います。秋の正式決定の前に、文部科学省中央教育審議会)に記事で提示された「疑義」に対する説明を是非お願いしたいことと、この動きにかかわった中央教育審議会のメンバー、有識者の名前の公表をお願いしたい。

 思わず、力が入ってしまい申し訳ございません。多くの現場で働く教員の意見が生かされないまま、強行されてしまうのがあまりに口惜しいのです。お許しください。

※現在でも、教室に設置されて「電子黒板」の使用状況を管理職がチェックし、使っていない場合は指導をうけている状況もあります。本末転倒です。授業は、教師と生徒、紙の教科書があれば成立します。