おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

「教員の異動」ー『新学期で代わる先生』🏫

本日は、教員の異動についてのお話。

 3月31日(年度によっては1~2日早く)、教員の多くはすることがあります。もちろん例外もありますが、だいたいの教員はやります。マーカーを片手に。それは同僚の異動についてのチェックです。チェックしたから、どうなんだ...何にもありません。でもどうしてもしてしまうんです。習性です。

 教員の「異動」ですが、自治体によって方式が違います。私のいる自治体では基本は短くて3年、長くて8年程度が基本です。大昔と違って、基本「異動」は断れません。大きな自治体になればなるほど、学校による違いは大きくなります。課題集中校で何を教えにきているんだか...と生徒指導で苦労する学校もありますし、逆に超進学校で教科指導で毎日四苦八苦する学校もあります。また、今は公立だからといってのんびり構えているわけにもいきません。そんなことしていたら、世間から置いていかれてしまいます。特色を出すために、あの手この手で生徒募集をかけます。学校説明会に、着ぐるみが登場することだってあるのです。中に入っている教員(?)はどんな気持ちでやっているのか..考えてしまいます。言い方は悪いですが「上」~「下」まで、どこに赴任してもそれなりの苦労はあるものです。自分の「不幸」と、同僚の「不幸」を比較しながら、お互い苦労しているんだから、頑張らなくては、と『負の叱咤激励』を自らしたくて「異動のチェック」をしているのかもしれません。だって、教員仲間で「あそこはいいな」と思っている学校に「異動」する同僚について、本音で「あいついいな~」って羨ましく感じることがほとんどですから。

 私は、幸か不幸かあらゆるタイプの学校に赴任しました。高校の教員ですから、「教科指導」に興味を持っている場合が多いです。今、お話した通り「教科指導」以前の学校も現実に存在し、自分の存在意義自体に迷いが生じることもあります。でも、振り返って「異動」は良かったと実感します。「教員とは何か?」の本質を学ぶことができるからです。教科は関係ないのです。「教科」以前の学校に赴任すると、自分の教科指導の技術が役に立たないことに愕然とします。前の学校では、生徒が「私の授業を受けて力がついた」とか、「大学受験に突破した」とか、「英語が好きになった」とか言ってくれたのに...それなりに自分の教科指導に自信があったのに...私は、「教科」以前の学校に赴任したあの時が「教師」としての分岐点であったと思います。ふてくされていても(何に対してふてくされている?)しかたない...英語の教員として赴任した以上、できるところから始めるしかない...と覚悟を決めて日々授業を行いました。ある日のことです。A君を指名して本文(高校初級の英文)を読ませたんです。読み終わったあと、泣いているんです...教員なら「えっ!?」て思います。男子生徒が泣く?(男女差別ですね)???おい、おい、勘弁してくれよ...と思いながらも、しかたなく残りの時間は彼を放置し、授業を終えました。でも、そのままにしておくこともできないじゃないですか。「ちょっと廊下へ出ろ」と生徒を促し、話を聞くとビックリです。あれは、うれし涙だったというのです。中学校から英語の知識は0,もちろん授業中は「お客さん」で蚊帳の外、でもさっき、やっと英語を最初から最後まで読めた...嬉しかったんです...私は涙が出そうになりました。その時、わかったんです。教師は「教科を教える」のではなく「教科を通して生徒を育てるんだ」ということを。それから、その学校での英語の授業は変わったような気がします。私の中で何かが変わったんです。一皮むけました...そして、今の私がいます。

 同僚の中には、「自分の教育方針」に合わない...といって憤然として「異動」していく者もいます。ふてくされた私と同じです。ただ、誤解してはいけません。「自分の学校」ではありません。学校ごとに「教育目標」が必ずあり(ほとんど意識することはないと思いますが)、それについて自分がどのように寄与できるのか、で我々はお金をもらっているのです。「自分の教育方針」を全うしたいなら、自分で学校を作ればいいのですから。「異動」した際、『学校要覧』で赴任した学校で「何を目標に指導するべきなのか」を真面目に考えるべきです。迷いは消えます。

 定年退職してから6年経ちます。同僚の多くも退職し、最近はチェックのしがいがありません。そして、「誰もいなくなった」になるのでしょう。少し、寂しいです。

 でも、毎年この時期になるとやはりマーカーを持ってしまいます。若い先生方が、「異動」を自分の成長の糧として生かしてもらえたらと切に望みます。