本日は「いじめ」についてのお話。
次の記事は「北陸放送」(4/28)の記事です。

「いじめ」被害者両親が加害者生徒に損害賠償を求めた裁判についてです。8人のうち4人は「賠償金支払いに応じるも謝罪なし」1人は調停不良。残る3人については、誠意ある対応を見せたために調停取り下げ... と記事が続きます。
そして下の記事は読売新聞(2025/4/22)の地方版に掲載されたものです。

最初の記事に見られるような「いじめ」に対し、何度同じような基本方針を出したら気が済むのでしょう。これは、「横浜市」だけではなく全国津々浦々で同様なアピールが行われています。何度も、何度も。そうなんです。アピールだけなのです。実効性がないんです。単なるアピールの繰り返しは、そのうち「麻痺」を生み、単なる標語でしかなくなります。
ごめんさい。私の認識不足かもしれませんが、現在、自殺や殺人につながった「いじめ」が公式に罰せられたことがあるでしょうか。北海道の恥ずかしい思いをさせられ最後には凍死したあの女学生の場合でさえ、うやむやのまま、何回第三者委員会の報告を聞かなくてはいけないのか...文部科学省も何をしているんでしょう...「直接調査に乗り出すことも辞さない」なんて勇ましい話をしてませんでしたっけ?思い出したように(忘れされるよりマシですが)ニュースで取り上げられる程度です。文部科学省から教育員会、学校、上から下まで時が過ぎていくのを待っているのでしょうか... いわゆる「風化」ってヤツです。
申し訳ないけれど、現在「いじめ」は99%「時が解決」し、おそらく加害者と思われる人間も社会に出て、結婚し、子どもたちも「あの頃はやんちゃしてたから...」で終わってしまうのです。被害者もその家族もはきっと一生トラウマで苦しむのにも関わらず...
上記のような意見具申がも何十回も出され、いい加減カビが生えそうです。そしていまだに、いじめられた生徒が転校を余儀なくされた...なんて話を聞きます。だいたい「いじめ」の対策に対して障害になるのが「人権」です。それもこともあろうか「人権を踏みにじった側」の「人権」です。「加害者が未成年だから私たち大人は子どもを保護し、教育し、育てる義務がある...」馬鹿ですか?加害者がやっていることをしっかり見てほしい...いたずらで済みますか?冗談で流せますか?自分の子どもが同じ目にあっても同じことが言えるのでしょうか?こどもの喧嘩に大人が出てきて、「大人げない」?「いじめ」で行われているのは悪質な『犯罪行為』です。文部科学省も教育委員会も何を恐れて強権を発動しないのか...「ポピュリズム」でもなんでもありません。弱い人間を保護してやれ!と言っているだけです。上のような記事の「方針」を策定したって絶対「いじめ」はなくなりません。断言できます。「いじめ撲滅キャンペーン」みたいのを何回もやっていて効果がないと、慣れっこになってしまうのす。周囲に教員がいたら聞いてみたらみてください。もし、「いや、そんなことはない。やらないより言葉だけでも行動を起こすことが大切なんだ」という人がいたら、悪いけれどよほどのお人よしかノー天気な人か、「現実」を見ない(見ようとしない、見て見ないふりをする)人だと思います。子どもは残酷なのです。子どもほど残酷といっていい。それが教育によって「人間らしく」生きるようになるのです。小さい子ほど小さな昆虫の脚を平気でとったり、アリを🔍で焼き殺したり...それが教育によって「人間的な優しさ」を身に付けていくのです。教育評論家の言うように「諭す」は「いじめ」には効かないんです。「弱いものをいじめたい」という原始的本能なのです。SNSで「匿名性」をいいことに「死ね」「消えろ」とか平気で訴える人がたくさんいるのと同じです。
それでは、どうすればいいんだよ。言ってみ?となるのです。
私の経験上、「いじめ」は初期消火が第一です。噂を聞いたら(被害者から申し出があったら)すぐに教員が行動することです。私自身経験があります。被害者から「肩パンチ」をされる、言葉でイヤなことを言われる...それも入学してまた1か月...早速(名前の挙がった)4~5人を呼び出し、「何か誰かをいじめているそうじゃないか」と切り出し「もう評判になっているぞ」と脅し(申し訳ないですがそういったポーズも必要なんです)、「同じような噂をまた聞いたら教員以前に人間として信じない...」(しつこいようですがポーズです)と散々説教したら、ピタリとおさままりました。またそれから1年後、別のクラスの生徒何人かが私のクラスの生徒を「いじめてる(脅している?)」という情報が入り、(その担任は躊躇しましたが、構わず)即呼び出し、「うちのクラスの生徒にちょっかいだしてるそうじゃないか」と(その時は半分本気で)「圧」をかけました。それも収まりました。それじゃあヤクザと同じだよ...そうです。私はそれなりに嫌われましたが、「いらいら」や「怒り」のような強い感情が教員に向いている方が学校は平和です。仲間に向かうのが「いじめ」です。本気で叱れば(「本気」の部分が大切です)、子どもだって知っているのです。自分が悪いことくらい。そういう意味では子供も捨てたものではありません。叱れない大人、教員が悪いんです。一方で叱った教員を、苦情を言われたからと一方的に処分する教育委員会も同罪です。
初期消火に失敗した場合は、特効薬は「いじめた人間の名前の公表」だと思います。劇薬ですが、特効薬です。実は、「いじめている側」の人間、すべてが本当にいじめがしたいわけではありません。ほとんどが、「いじめ」の中心人物がいて、そういった人間に従わないと、代わりに自分が「いじめ」の標的にされるから同調しているにすぎません。もちろん、いきなり公表したら問題でしょう。「ただ同調していただけの加害者」まで相当大きなハンディを負うことになりますから。ですから、記事にあるような「アピール」の代わりに、ここの時点からはすべて「公表する」といった宣言を出せばいいんです。そこまでの危険を冒す覚悟で、「いじめ」に同調する子ども(家庭)もいません。
「初期消火」と「名前の公表」だけで多くの「いじめ」は収まると信じています。少なくても最初の記事の「賠償金は払うけど、謝らない」人間は出てこないはずです。今からでも、法の改正をして「謝らない」と「名前を公表する」としたら即、「泣き」が入りますよ。そんな風な謝罪が正しいかどうかはわかりませんが、少なくても加害者にはそのくらい悪いことをしてしまったのだ、という自覚は持ってもらえると思います。
文部科学省や教育委員会も「いじめ」の統計をとったり、アピールをするのではなく、教員が「いじめ」に対処できる実効力のある「武器」を与えてほしい。そして教員、学校が毅然とした態度示した時にしっかりと守ってほしい。
子供を教育するとき、大人が子どもの顔色を観てはいけないんです。「いじめ」も同じです。いけないことをしたら毅然といけないと言ってあげるのが、教師であり、大人です。好かれる必要などありません。昔の「雷おやじ」が今の教育にも必要なんです。私は、そこから本当の大人に対する信頼が生まれてくるのだと思います。
ちなみに「いじめられた」経験が私にもあります。その時は教員側の素早い対応で何日もしないうちに解決しました。
