おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

「老化」の自覚と「その先」🥸

本日は「高齢者」が「高齢者」であるとある時ハッと気づく、そんなお話。

 私は、定年を迎え非常勤講師をする「高齢者」です。前にもお話しましたが、教師とは面白い職業で「年をとりません」。もちろん、肉体は他の人間同様時と共に下降線をたどるわけですが精神的には「元のまま」なのです。新入生から卒業までがワンサイクルです。彼らは18歳で卒業していくわけですが、教師はまた「新入生」に戻るんです。そのうち、自分は永遠に「15~18歳」でいるような(それ自体間違っていますが)大いなる錯覚、幻覚に陥ります。ですから、現実の生活において精神面(メンタル)と肉体面(フィジカル)が乖離することもあります。それが、よく教員に見られる「肉離れ」であったり「アキレス腱断絶」だったりするわけです。年寄りの冷や水!?

 わたしも、徐々に年をとっていることを薄々気づいているものの、なんとなくその事実を無視して過ごしてきました。若い人からお酒に誘われなくなる(人格的なものも大いに関係しますが)...陰で煙たがれる...肌で感じるものです..年を。案外と生徒の方がそのへんの機微には敏感で我々教師の年齢に応じた対応をします。教員が20~30代くらいの時は「あこがれ」に似た恋愛感情をいだくこともあるでしょう。30~40代くらいの教員に関しては「信頼」に似た感情....50代になると「親」に対するのと同じ(へたすると教員を思いやる)感情や「師匠!」といった尊敬に値する感情をいだいてくれます。「大人」なのです。その感情の機微に疎い50過ぎの教員が、何を誤解してか「君が好きなんだ~」などと生徒に抱き着いて「このスケベ変態おやじ」などと拒絶され、懲戒免職になるのです。なにしろ、教員は「元のまま」、永遠に20~30代ですから。教員は「子ども」ですね。精神年齢が「若い」というより「幼い」!?

 そんな私でも、正面きって「高齢者」であることをはっきり自覚することがありました。先日、授業中に「歯科検診」のお呼びがかかり(学校では年度当初に健康診断が部位別に行われ授業中呼び出されることがある)生徒は保健室へ向かいます。その間、授業担当者は教室で待機しながら貴重品の見張りをしてたりするんです。生徒は出席番号順に終えて教室に戻ってきます。中途半端な時間なので私も珍しく生徒とだべったりするのですが、偶然「年齢」の話になり、自分が67歳であることがばれました。男子生徒の1人が「全然そんな年には見えないですよ。せいぜい50歳です」。15歳以上も若く見られたので気分よく授業に戻ろうとしたら、「うちのおじいちゃんと同い年ですね」の一言...高校3年生が「孫」の年かよ...おれは。確かに、最近教え子の子どもが入学してきているから、当然ですが、やはり年取ったんだなぁ...

 同じ「高齢者」でも若く見られると嬉しく感じるのはまだ老人の「ヒヨコ」ですね。まだまだです。まだ「色気がある」証拠です。それを超越すると男女の区別がなくなります。まさにジェンダーフリーの世界に足を踏み入れることになります。その頃になると自分の年を上にサバを読む人が増えますね。実年齢は88なのに「数え」で90と言ってみたり...

 人間の肉体の寿命は120歳程度と言われています。確かに日本一の高齢者が亡くなったなんてニュースが流れるとだいたいその前後の年齢ですね。授業の時に、自分にはオリンピックに出れるわけでもないし、ノーベル賞をとれるような人間でもなく、何の取柄もないから、125歳まで生きて俺はニュースに出ることを目標にするぞ!と言ったらその日で一番受けたお話になりました。

 テレビ東京の『カンブリア宮殿』という番組があります。日本の様々な企業家に焦点をあて日本人の底力を紹介する番組で、毎週カミさんと楽しみに見ています。自分にはできないけれど、結構年を重ねた苦労人が生き生きと頑張っている姿を見て励まされるのです。そのMCが作家の「村上龍」と俳優の「小池栄子」なのですが、長寿番組なので昔の映像も流れます...若い!村上龍!同時に、その差で年取ったな...SNSでは村上龍の滑舌の悪さが話題になっています。確かに最近気づいたのですが「字幕」が出ています。でも、番組内や「編集後記」の部分のコメントは相変わらず、子気味よさを感じます。彼は完璧な『現役』です。羨ましいです。

 とりとめのない話になってしまいましたが、あの人は年をとっても「何か光るものがあるね」、どこか「すごいね」と言われる老人でいたい...無理ですね...でも無理だから、価値があるのです。それを目標にすることが。

 頑張ります😉『スーパーじじい』を目指して。