本日は、わが国の「国家安全保障」のお話。
国際情勢は80年も経つと同じ過ちを繰り返すことが現実問題として証明されてしまいました。状況は第二次世界大戦の直前と似ています。各ブロックごとに世界は分裂し、善悪とは無関係に超大国の好き放題...私はあきらめました。やはりこんなものなのです。二度目の国際組織、国際連合も破綻しました。そして、トランプ大統領の誕生により、さらに世界は混沌の海の中に引きずり込まれました。結果として日本が直面したことは、「人は誰も信じられない」、「他人まかせではいけない」ということです。先日、英国でも大きく外交で舵を切り、NATOを中心とした体制を構築しつつあり、極東での有事への関与は期待できない状況になりつつあります。米国ももう頼りになりません。日本はどうする?2%の軍事費の捻出さえ、『軍事国家』へといった見出しが並ぶ日本です。平和を叫ぶことは必要...その意見を消してはいけません。ただ、明日某国が日本の尖閣列島を占領し、沖縄南部の島々に上陸した...国民はどうするのですか?自衛隊に任しておけばいい?存在自体、認める認めないと言っている自衛隊にです。私は、右翼ではありません。でも他人ごとではなく自分ごととして考えなくてはいけない時期に来ているのではないでしょうか。
ただ、個人が国防、農政、食糧自給率といった「国家安全保障」に関わる大それたことを動かすことは不可能に近い...私たちは国民ができる「国家安全保障」を考えるべきです。
まずは、選挙に行くこと...「あ~だ、こ~だ」と文句を言っている割には、投票率は4割程度、あり得ません。国家が滅んでもおかしくない数値です。以前にも投稿しましたが国家は合法的に「悪魔の国家」に変わります。第二次世界大戦前のドイツ、ナチスを見てください。別に悪意はないんです。集団心理で、いわゆる「ポピュリズム」によってなるのです。まずは、本当に「正しい国家」「国家安全保障」を考えるなら投票に行くべきです。「悪」に利用されないためにも。また、政党も焦点を「国家安全保障」に絞り、国民に選択を迫るべきです。
次は、国民が「忍耐」を覚悟することです。身近な話題で言えば、「令和のコメ騒動」...国民はもっと打たれ強くなければいけません。もちろん、今回の騒動、農政官僚、JA全農など責任はあると思いますが、我々一般人も反省すべきことは沢山あります。「フードロス」が問題になるほど現在食料は溢れているのです。食料不足で死ぬことは絶対ありません。今回の騒動は、まさに『飽食』の時代の贅沢病の一症状にすぎません。「コメ」がなければ、「コメが高騰」、キャベツが不作なら「キャベツが高騰」、サンマが不漁なら「サンマが高騰」...他のものを食べていればいいでしょう...日本人の悪い癖です。「足りない」というと、やたらと欲しがる、ため込む...なぜ我慢ができない!?だから「騒動」が大きくなるのです。そして、「転売ヤー」が跋扈するのです。私は、1958年生まれです。さすが、戦後の混乱期と違いますから、食べるものがない...なんてことはありませんでした。ただ、食卓に肉が乗ることはめったにありませんでしたし、外食なんてめったにしない、給食は正直「豚のエサ」?と思われるような代物、(先生方は職員室で店屋物を食べていました)。たまにする外食で「食べ残し」なんてしたら、当分外食は「無し」です。『食』だけ例にとっても、国民全体が「打たれ弱い」のです。
さらに、「主体性」をもつことです。なんでも、人任せでは進歩はありません。現在、
目の前の作業、勉強に十分向き合わずに、「自分探し」「働きがい」という爽やかな言葉に酔い、『食べるために働く』、イヤでも働くのだ...という太古の昔からの大原則を忘れているような気がしてなりません。さらに、「人格尊重」を前面に、気に入らないことはすべて他人のせい、仕事上のミスを指摘してもパワハラ...挙句の果ては『退職』も「退職代行業」に任せる...だれかがやってくれる...大人ではありません。最近の就職環境での「売り手市場」...この傾向は加速します。
「主体性」の点では家庭内も、教育界も全く同じ...私の時代の親や教師から子ども、生徒への「鉄拳教育」は論外ですが、子どもが親の正当なしつけに対して暴言や暴力で答えていいはずがない、ましてや生徒が教員に「鉄拳」を加えていいはずがない...またそれ対して胸を張って開き直ることのできない、親、学校、教育委員会、そして文科省...最近ではそのような事態に「法務関係」の専門部署まで設置する自治体もあるようです。法律の解釈で「教育問題」を乗り切ることなんて最終的解決にはなりません。「こども」に本気で立ち向かっていない証拠です。他人任せです。教育の「主体性」が全く欠如しています。児童、生徒に聞いてみればいい...実は子どもの方がよっぽど「善悪」の区別はついています。子どもは大人を試しているのです。大人我慢して、嫌われることを恐れずが学校・保護者一体となって絶対譲らない、許さない一線を教えてやればいい...
まさに「老人の戯言」になってしまいました。すみません。でも、こういった石の積み重ねが「国力」を支える大事な礎だと思うんです。
国民一人ひとりができる「国家安全保障」考えてみませんか?