本日は、いつもの「一人旅」静岡の久能山~修善寺方面への一泊二日の旅のお話。その2日目。赤くなっている部分のレポートです。
一日目
「登呂遺跡」
(宿泊)クアアンドホテル 駿河健康ランド 10370円(3000円食事券付)
二日目
「修善寺」散策
「三嶋大社」、三島散策
〇 「修善寺」散策
三島駅より伊豆箱根鉄道に乗って約30分、修善寺駅に着きます。ここから「修善寺温泉」まではバスで10分程度...タクシーでは5分(1600~1700円)...結局、修善寺駅周辺をぶらつきながらバスで「修善寺温泉」に向かいます。
温泉街を中心に「観光スポット」をぐる~と回って約2時間、道案内も完備していて充実した散策を楽しめます。また、「修善寺温泉」に宿泊して「そぞろ歩き」もいいかもしれません。温泉街の風情も十分楽しめます。

今回は「修善寺温泉駅」(往復とも同じバス停です)出発
日枝神社⇒修善寺⇒とっこの湯公園⇒源範頼の墓⇒赤蛙公園⇒竹林の小径⇒指月殿⇒源頼家の墓⇒十三士の墓で周遊しました。
下の各スポットの説明は修善寺観光協会からの転載です。写真は「私」
《日枝神社》
修禅寺の東隣にある静かな佇まいの神社。鳥居をくぐるとマキ、ケヤキ、スギの見事な老大樹が一本ずつ並び、参道をおおっています。ケヤキの巨木の根元には信功院跡の表示と石の庚申塔がひっそりと、源範頼の悲劇の跡をしのばせます。
境内には県の天然記念物に指定されているイチイカシの巨木と、二本の杉の間を通ると子宝に恵まれるという言い伝えがある樹齢800年の「子宝の杉」があります。






渡月橋から見た温泉街

《修善寺》
弘法大師空海が大同2年(807年)に開基したと伝わる古刹。源頼家が幽閉され非業の死を遂げ、岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」で有名になった頼家ゆかりの古面や、北条政子が寄進した放光般若波羅密教などが宝物館に納められています。
※「宝物館」300円ですが、結構良かったです。



修善寺の前が「とっこの湯公園」になっています。昔はここに普通に露天風呂として入った覚えがあるのですが...今は「入浴不可」になっています。
《とっこの湯公園》
諸国を行脚中の弘法大師が、桂川で病父を洗う少年を見て心うたれ、独鈷杵(仏具)で川の岩を打ち霊湯を湧出させ、父子に温泉療法を伝授したという、修善寺温泉発祥の湯です。


そこから、坂を上るようにして「源範頼の墓」に向かいます。細い道を脇道に沿って上るとあります。源範頼にせよ、源頼家にせよ、(義経を含め)源頼朝は結局猜疑心から、自分の身内を自ら滅ぼし、「そして誰もいなくなった」状態にしてしまったのですね。歴史書を読んでも本当に哀しいです。
《源範頼の墓》
鎌倉幕府将軍 源 頼朝の弟。蒲冠者と呼ばれた範頼は、弟義経への情愛や兄嫁(北条政子)への気遣いなど、優しく率直な性格であったがゆえに頼朝の誤解を招き、この地に幽閉され悲しい最期を遂げました。

坂を下ると..
《赤蛙公園》
昭和19年、島木健作が病気療養のため修善寺を訪れたとき、桂川の中州から向こう岸に渡ろうとする1匹の赤蛙が目に止まり、これを題材とした短編「赤蛙」が生れました。この場所に小公園を作り赤蛙公園と呼んでいます。
掲示板にはその先があり、その渡ろうとした「赤蛙」は流れに流されてしまう...それを見て自分の先の短さを...と続きます。オー・ヘンリーの「最後の一葉」みたいですね。健康である自分に感謝です🤨

そして、一筆書きを描くように...
《竹の小径》
温泉街の中心部を流れる桂川に沿う遊歩道。とっこの湯から続く小径を歩いていくと、茶処や昔懐かしい火の見櫓が散策する人々の目を楽しませ、竹林の中央では大きな竹製の円形ベンチで風を感じることが出来ます。日没後はライトアップされ、夜の散策も堪能できます。
思ったより、短い小径でしたが、暑い最中、ここだけは涼しげな風がそよいでいました。



《小径》を抜けしばらくする
《指月殿》
修禅寺に対面した鹿山の麓に位置する指月殿は、北条政子が息子・頼家の冥福を祈り菩提所として建立したものです。数千巻の経文を寄進し菩提を弔ったといわれていますが大半は散失し、現存するものはわずか8巻。そのうちの第23巻が静岡県指定文化財として修禅寺宝物館に置かれています。
この建物は伊豆最古の木造建築といわれており、本尊の釈迦如来像は、禅宗式という珍しい形で、持物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴です。


《指月殿》の脇には

そして
《源頼家の墓》
指月殿境内に頼家の墓があります。父頼朝の後を継いで、18歳で鎌倉幕府の二代将軍になった頼家は、やがて政争に巻き込まれ修禅寺に幽閉された後、北条時政の手により23歳という若さで、当時修禅寺門前の虎溪橋際にあった筥湯で暗殺されました。
現在「筥湯」は共同浴場になっています。頼家はいつかは殺されることが分かっていて、用心はしていたといいますが...無念だったでしょう。そして母親の政子の気持ちを考えるとやり切れません😫

その奥には
《十三士の墓》
源頼家の墓の側に十三士の墓があります。源頼家の家臣十三人が、頼家が殺された6日後に再起を期して謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され殺されたと伝えられ、その家臣の霊を祀ってあるといいます。

だいたい1周で2時間。コンパクトに巡れる鎌倉の悲哀の歴史散歩です。訪れる前に、是非鎌倉史を予習されることをお薦めします。
ここから、修善寺駅に戻り、駅ナカで昼食をとり最後の訪問地「三嶋大社」に向かいます。駅ナカの昼食は、別投稿<60代からの「一人旅」番外編『静岡おでん』>で詳しくレポートします。とりあえず、画像だけ...


《三嶋大社》へは、三島駅へ戻る途中の「三島田町」からの方が近いことに気づき、下車徒歩9分で到着。
《三嶋大社》
三嶋大社は、静岡県三島市大宮町にある神社。式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。源頼朝を始め、多くの武家から崇敬を集めており、境内には頼朝・政子が戦勝祈願で百日日参した際、休息した石などもあります。

「相生の松」源頼朝が源氏再興を祈願した際、側近の安達藤九郎がこの地で警護をしていたと伝える。

「厳島神社」


「本殿」

明治天皇の使用した茶室なども境内に。

百日、日参した際に休息した石(左が「頼朝」、右が「政子」)

ここから徒歩で三島駅に向かいながら、湧水の流れる白滝公園や国の名勝に指定された池泉回遊式庭園「楽寿園」に寄りながら帰途につきました。

《楽寿園》
明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたのがはじまりで、富士山の伏流水が湧出した小浜池を中心とした池泉回遊式庭園です。中心となる「楽寿館」は高床式数寄屋造りの建物で現在市の文化財として指定されています。ただ、ツアーの時間が決まっているのでそれ以外の内部見学ができません。今回は時間が合わず断念。




何と、「駅前出口」もあり三島駅前に...
二時半近くの東海道線で帰途につきました。
夏の旅行は暑い💦わかり切っていたことですが暑かったです。
これに懲りず、まだ60代からの「一人旅」は続きます。お付き合いのほどを😉