本日は、「一人旅」茨城の『袋田の滝』~水戸への一泊二日の旅のお話。その2日目。赤くなっている部分のレポートです。
一日目
『袋田の滝』
(宿泊)思い出浪漫館 20,425円 (1泊2食)
二日目
やはり、茨城は遠い...地元に6時ごろ帰るためには「偕楽園」はカットするしかない...以前梅まつりで来たことがあるので、今回は『偕楽園』はあきらめ、『弘道館』と『水
戸城』、水戸のソウルフード『水戸藩ラーメン』の店に寄って旅をしめることにしました。
ホテルからの送迎バスで9:29発の水郡線に乗車、やはり遠い...水戸に到着したのが11時ころ...家への土産物をのぞきながら、早めの昼食へ。

今回の2つ目のソウルフード開拓は、水戸の『水戸藩ラーメン』。水戸駅から徒歩13分の「石田屋」さんでいただきました。詳しいレポートは『番外編』で詳しくレポートします)


水戸黄門が食べたという「日本で最初のラーメン」を食したあと、水戸駅から徒歩で10分ほどの『弘道館』、『水戸城』へ向かいます。
《弘道館》
弘道館は天保12年(1841年)、水戸9代藩主・徳川斉昭が藩校として創設した日本最大規模の藩校で、学問と武芸の両立を重んじた教育が行われました。弘道館建学の精神は、天保9年(1838年)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目が記されています。水戸学をはじめ、儒学・医学・天文学・武術など幅広い分野を学べる施設でした。明治維新期には、尊王攘夷や幕末の動乱に関わる人材を多く輩出しました。
弘道館と真向いが《水戸城の大手門》となっていて学問をいかに重要視したか、想像がつきます。
(左近の桜と弘道館正面)

(水戸藩九代目 徳川斉昭公 お手植えの松) (斉彬公と徳川慶喜)



欅板に斉昭書で「游於藝(げいにあそぶ)」と刻まれています。「游於藝」は、『論語』述而篇の一節「子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於藝」(子曰く 道に志し 徳に拠り 仁に依り 芸に遊ぶ)により、「文武にこりかたまらず悠々と芸をきわめる」という意味があります。「游於藝」の「藝」は六芸(りくげい)で、礼(儀礼)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬術)、書(習字)、数(算数)をさします。(弘道館HPより)

(平日、昼間だったので貸し切り状態、秋の気配を感じながらゆっくり見学)

(あの「大日本史」も)

(徳川慶喜が水戸に退いた時に使った長持も)

(「一張一弛」水戸光圀と斉彬の教育理念ー人材を育成するにあたり、弓を張ったり弛めたりする「一張一弛」になぞらえ、緊張とリラックスのバランスが大切であると考えました。それを体現したのが「弘道館」と「偕楽園」ということです。考えさせられます。



(大手門をくぐると、学問所跡等が並びます)


(そして、二の丸櫓も現在整備され見学が可能です)




《弘道館》《水戸城》併せて90分ほどの滞在でしたが、駅からこんな近くに名所があってラッキーでした。
次回は是非「一張一弛」の《偕楽園》も併せて訪れたいと思います。
2回にわたる60代からの「一人旅」茨城編 お付き合いありがとうございました🙂↕️
