本日は、「時間」との付き合い方についてのお話。
大昔は、時間はのんびり流れていたといいます。お日様が上がる時間に起き、日が高いうちに仕事をし、日が落ちたら寝る...おおざっぱに言えば、2種類の時間で動いていたと言えます。それが、人間の智恵で「光」が生まれ、時間を管理できるように進歩していきます。さらに日本では、その生来の生真面目さと勤勉性から「時間」に厳密性を求め、いつの間にか、「時間を管理する側」から「時間に管理される側」に変化します。その究極が世界一と言われる日本の列車のダイヤ管理になるのです。ある意味では「時間に縛られる」「時間に追われる」という形容がぴったりな国民が日本人と言えます。
確かに、多くの日本人は何をやるにしても「あくせく」しています。休暇も外国のように1か月もスケジュールを空けて「バカンス」を楽しむこともありません。短い休暇で温泉旅行に出かけ、湯舟につかっていても「夕食は7時からだから、5分前には会場に行ってた方がいいかな...」なんて考えながら柱の時計を、ちらちら見るくらいですから。
「おおざっぱに時間を過ごす」のか、「何事も(予定をきめて)きちっと時間を守って過ごす」のがいいのか微妙です。最近の流行はスローライフですかね。英語の教材でも一時「時計のない旅館、ホテル」といった話題が多く扱われていました。
私は、文明に侵されているのでしょうか、やはり「決まった時間の枠の中でも時間」の中でしか生きられないような気がします。その方が、生きている実感が持てるのです。広い体育館のようなスペースがあっても、端っこにいる方が落ち着くみたいな?
また、年齢も関係しているのかもしれません。若い頃は、もう少し「無駄」にも一つの価値が見出せていたようが気がします。絵でいう、「余白の美」?私は自他共に認める高齢者となりました。残念ながら、残りの人生もカウントダウンが始まっている...年齢を重ねるにつれ、年月の経つのが速くなり、カウントダウンも加速してやってきているような気分です。ある意味では焦っているのかもしれません。私の現在の生活は「余白の美」どころではありません。原色の色、塗りたくり...みたいです。
現在の私の生活は「ルーティン」です。朝、起きてから寝るまで、そして一週間、そして1か月...なるべく無駄のないように動きたい...普段の生活における「ルーティン」化の究極は、勉強(教員は勉強をマグロの回遊のようにしていないと死んでしまうのです😓)で取り入れている「ポモドーロ」のインターバル勉強法です。常に30分単位で勉強しています。勉強だけではありません。私の好きな「一人旅」でさえ、また苦しい「ジム通い」でさえルーティンとしています。
ただ、現在の生活が「時間に縛られている」とは思っていません。自分で「縛っている」「管理している」のですから、「時間に追われている」ではなく一歩先「時間を先取りしている」のでは...と自分で慰めています。
人それぞれですね。ただ、人生は生物学的にも寿命が120年程度と言われています。どんな風に使おうと、120年(最高で)...お互い、満足いく生き方を見つけましょう😉
