本日は、地元の「ソウルフード」と「ローカルフード」のお話。3回にわたってこのお話をします。今回2回目。
其一 「ソウルフード」と「ローカルフード」の違い(本日のお題)
其二 「よこすか海軍カレー(ローカルフード)」の誕生秘話
其三 「よこすか海軍カレー」のSpin-ff「横須賀海自カレー」へ
後半2回の記事は、横須賀市のHPよりお借りしたものが多いです。※よくまとまっているのです🥰ご了承ください。
明治初期、海軍・陸軍軍人の病死の最大の要因は脚気(かっけ)でした。 当時の日本海軍では白米中心で、たんぱく質やビタミンB1が不足した軍隊食が提供されていました。明治16年には脚気による罹患者数が1,632名、死亡者数が49名にも上り、軍内では早急に対策を打つべき深刻な問題となっていたのです。
明治17年、海軍軍医だった高木兼寛(後の海軍軍医総監)は軍艦筑波号による航海実験を行い「兵食改革」に着手しました。イギリス海軍で提供されていたカレー風味のシチューに小麦粉でとろみを付けて、ライスにかけたメニューを軍隊食に取り入れたのです。 このメニューはシチューの具材と小麦粉により当時の軍隊食に不足していた栄養分を補うことができるものでした。 その結果、明治18年には脚気の罹患者数は41名、死亡者数なし、という劇的な改善が見られ、脚気をほぼ撲滅することに成功したのです。
このときに採用されたメニューが現在の日本のカレーライスのルーツと言われています。
その後、カレーライスは兵役を終え故郷に戻った兵士たちにより全国に広まっていきました。 海軍とともに歩んできた街 “横須賀”。 横須賀はカレー発信の地なのです。 現在、横須賀市では、明治期のカレーを現代に再現した“よこすか海軍カレー”をメインブランドとして「カレーによる街おこし」を推進しており、全国に向けてカレーの情報を発信し続けています。
《横須賀海軍カレー誕生秘話》

平成10年12月、海上自衛隊地方総監の退官を前にお別れパーティーが海上自衛隊 田戸台分庁舎で開かれました。 その席上で総監が、「呉市と舞鶴市では、両市が本家争いをするなど、肉じゃがを“まちおこし”に繋げているが、カレーライスが庶民の食卓に普及したのは海軍のカレーにルーツがあるので、海軍の街である横須賀でカレー発信の地として、“カレー”を地域の活性化に利用してみては」という趣旨の話をされました。
この話を受けて横須賀市役所、横須賀商工会議所、海上自衛隊の3者で調査、検討がはじめられ、旧日本海軍で提供されていたカレーを現代に再現する方針が決定しました。 平成11年5月20日、横須賀市は「カレーの街宣言」を行い、「カレーの街よこすか推進委員会」が発足しました。
横須賀=カレーの街になってからもうだいぶ経つのですね。カレーとは話題は離れますが、記事の中にある海上自衛隊 田戸台分庁舎ですが、正式には旧横須賀鎮守府司令長官官舎といい、現在自衛隊の管理となっており、春・秋と一般公開しています。海上自衛隊地方総監の退官のお別れパーティーに使われるなんて...現役で使用されることもあるのですね。何か歴史を感じます。
現在、横須賀には「よこすか海軍カレー」関連の商品、メニューが溢れています。カレーパンやカップヌードル、ポテトチップスまで...地元の人間が驚くくらいです。子どもの好きなメニューの一つであるカレー、横須賀市もいいところに目を付けました。カレーフェスティバルなる催しも毎年開催され、万単位の人が足を運びます。また驚くことなかれ「よこすか海軍カレー」の名称は商標登録されています。商品はなんと「商品審査委員」の厳しいチェックを通過しなくてはいけない...心して食さないと😤
(マスコット「スカレー」、街のあちこちに見られます)

「ソウルフード」と「ローカルフード」 の第3弾は、「よこすか海軍カレー」のSpin-ff「横須賀海自カレー」のご紹介。