本日は、難しい判断で他人からは攻められるけれど、しょうがない!?お話。
「背は腹に代えられぬ」ということわざがあります。「差し迫った苦痛を回避するためには、他のことを犠牲にしても仕方がない」という意味を持ちます。また、「大切なものを守るために、多少の犠牲はやむを得ない」というニュアンスも含まれます。次の3つのニュースをご覧ください。



どれも賛否両論あるトピックです。「脱化石燃料」はした方がいいに決まってる、でもそれで経済は動いていくの?我々が享受している快適な生活が保障されるのか?原発も同様、処分の仕方も不明な原子力発電からでる汚染物処理、東日本大震災で経験したメルトダウン...ない方がいいに決まってる、でもそれで日本の電力が賄えるのか、そして原発に依存(失礼🙂↕️)している自治体や労働者はやっていけるのか、そして「熊」、殺すのがかわいそう...誰も異を唱える人はいない...でも殺さないで人間が殺されてもかまわないのか...
なぜ、このようなことになるのか...私も含めて残念ながら50年先、100年先の地球より今の自分が可愛いのです。楽したいのです。熊に襲われたくないのです。
ある意味では究極の選択...と言えます。自分をその立場においてどんな行動がとれるのか...私には「理想」をもって、正しい選択ができる自信がありません。もし、動物愛護団体の人たちが、熊の生息地に住んでいて(突然、住宅地に侵入することだってありますが)、クマが襲ってきた時、「話せばわかる」と言えるのか...はなはだ疑問です。
さらに飛躍すれば、「熊」は人に被害をあたえているのに「可哀そう」、それでは「牛」や「豚」は食品として屠殺しているのはいいのか...環境保護団体が脱化石燃料を訴えて過激な活動をしているけれど、その抗議場所までは「化石燃料」を使わずに来ているのか...だから「究極」なのです。
絶対的な正答などありません。AIでも答えることはできないと思います。私は、そこに登場するのが、宗教や哲学だと思います。人間は食べていかなくていけない...ある意味では自然に「生かされている」、だから生き物を「殺生」する時には合掌し、感謝しましょう...火力だって「プロメテウス」が人にもたらしてくれたもの...だから本来の目的のために大切に使いましょう...詭弁と言われればその通りですが、どこかで納得しないと前へは進めません。
どこで妥協点を見つけるのか、どこで納得するのか、ヒステリックにではなく落ち着いて考える必要があるのかもしれません。
実際、「カーボンニュートラル」の実現に黄色信号が灯っています。理想は高い、けれど実際は無理がある...しょうがないか!?英語ではそういった「現実的な(残念な)見方」をGreen realismと呼んでいます。車で言えば「ハイブリッド」等の工夫で化石燃料の消費を抑える努力はできてもドイツなどのヨーロッパ諸国が主張する「カーボンニュートラル」は実現は難しいということです。皆、自分の国での事情しか頭にありません。もし、電気自動車の補給基地がガソリンスタンドの数と同数あっても、給電(?)時間がガソリンの比ではありません。それまでみんな待てるのでしょうか。また、アメリカなどは広すぎるのでe-powerだけで横断するなど自殺行為です。アフリカではどうですか?目に見える範囲だけでなく、もっと広く見ないとお互いの理解は進みません。地球規模では変化をもたらせないのです。ほどよい妥協点を見つけながら、最悪の状況になる未来をできるだけ先延ばしにする努力をするのが精一杯なのかもしれいない、と最近では思っています。※そんなこと言ってたら何も進歩はない!とお叱りを受けそうですが😓