おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

なぜ、善良な市民が苦しまなくてはいけないのか?😠

 本日は、「遠山の金さん」「大岡越前」「水戸黄門」...そして究極は「必殺仕掛人」の登場を望む一市民の「恨み」をドラマの中で晴らしてくれるそんな物語のお話。

 皆さん、世の中を見回して何か間違っていると思いませんか。現在の司法制度では、人を一人殺めても死刑になることはありません。世間でも「(被害者が)2人じゃまだ死刑にならないな...」なんて言葉が普通に聞かれます。最近では被害者救済の手当てがされるようになりましたが、加害者側に対する刑罰の重さは増すことはありません被害者救済の手当てがなされても、元の状態に戻るわけではないのです。

 中には、「殺す相手は誰でも良かった」「死刑になりたかった」...最悪です。無駄死にです。裁判では「死にたくない]...

 加害者が「少年」だともっと顕著です。行為に「殺人」が含まれていていも「残虐性」が見られても「少年法」で守られます。。それを盾に「俺は未成年だ」とうそぶいて薄ら笑いさえ浮かべる人間もいます。犯罪行為(刑法犯と考えられる)と同様な「いじめ」も同じです。裁判が行われないだけ始末が悪い...世間は「いじめ」を「やんちゃ」と置き換え『教育』し、「更生」を目指します。一方、いじめの被害者は訴えても学校、教育委員会から「無視され」、最悪の場合は自ら、退学、転校を強制されることさえあるのです。そして、数十年経って、同窓会があると、いじめの加害者は自分の「蛮行」をすっかり忘れて「当時はやんちゃしてたから」と談笑し、いじめを受けた人間は家に引きこもるのです...

 残酷な法律の代表として『目には目を、歯には歯を』のハムラビ法典がよく引き合いに出されますが、ある意味では正しい法律だと思います。『目には目を』であって『目には命を』といっているわけではないのです。現代に許される法律ではありませんが、まず法律の出発点は『目には目を』です。それに様々な「情状」が加わり、減刑されていくのです。大学の一般教養の「法学」の先生から学びました。最初から、「一人の殺人では死刑にならない」は前提からオカシイのです。「未成年は更生する」、社会は、子どもを育てる義務があるから?....失われた被害者の傷は未成年であろうと、成年であろうと変わらないのです。

 『罪を憎んで人を憎まず』(古代中国の儒家の書物『孔叢子(くぞうし)』に由来)?『右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい』(新約聖書マタイによる福音書)?正直、私は賢人でもなければ聖人でもありません。

 社会が公正な裁きをしないから、SNSで集団で叩くのです。また、それを擁護する風潮が生まれるです。※「叩き方」を実際見ると、公正に「裁いている」のではなく「視聴数」獲得を狙ったただ煽情的なモノや、他人の「いたぶる」ことで快感を得ている「あぶない」モノも多く、世も末感も感じますが😨

 実際は、私たちが「手を下す」ことはできません。ですから、ドラマや映画で発散するしかないのです。モンモンとしている人にお薦めのドラマ見つけました。スカッとします。少なくとも、世の中には「そう感じる人もいるんだ」というわけのわからない安心感は得られます。

韓国映画 『復讐代行人』-模範タクシー-です。

 自ら、犯罪被害者の家族である人間がグループを作り、犯罪被害者からのリクエストに応じ、復讐を果たしていく...そんなドラマです。日本でもありましたよね、藤田まこと主演の『必殺仕掛人』に始まるシリーズ...その現代版と思ってください。シリーズは2,3と続いているようです。

こんなドラマが不必要となるそんな「公平な社会」を望みます😉