おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

「義理や人情」なんてあったものじゃない🥺

本日は、本当に「ゾクッ」とするような国際感覚のお話。

 米国とイランが諍いがエスカレートし、チキンゲームに近いところまで来ています。その中でビックリするニュースが入ってきました。

 ロシアの提案にビックリです。まさに「悪魔の取引」...「お前もワルよのう...」の江戸時代の悪代官のような提案。米国が拒否してくれてありがとう...と言いたい。それを受けたら、私の中では米国は「下の下」となりました。

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 でも、振り返ってみると、国際政治の中では当たり前のことなのかもしれません。最近、高市総理が良く口にする「国益」...その前には「義理や人情」なんてものは無用なのかもしれません。古代、中世、近世、近代、現代とすべての時代、歴史をみると現在とほぼ変わらないんです。「イケイケドンドン」の拡大侵略タイプか、「攻めてきたら絶対許さない」ハリネズミタイプか、三國志に出てくるような「連合」や「離間」を繰り返しながら自国を最強にしていく「策略」タイプか...いずれにせよ、そこには日本人がなぜか大切にしたいと思うセンチメンタルな「義理や人情」などないのです。『サバイバル』、生き残りが最重要視されるわけです。もともと、日本にもなかったのです。戦国時代を思い出してください。常に、自分の四方に目を配り、自分の領地と接している「国」は常に「襲うか」「襲われるか」の二者択一、そしてその向こう隣りとは同盟を結び「挟撃体制」を組む...全国を二分するような『関ケ原』のように地割による作戦が無理なら、「恫喝」と「籠絡」で切り崩す...それには情報が必要..諜報が重要視され「忍者」が暗躍...現代なら、イスラエルのモサドであり、米国のCIAだったりするわけです。日本でもそれが常識だったはずです。戦国時代だけでなく、時代をさかのぼればすべての時代共通です。いわゆる、「弱肉強食」...ダーウィンの進化論を地でいくような世界です。

 それではいつから「義理と人情」が日本人の重要な部分を占めるようになったのか。私は、徳川政権時代に「学問」として奨励された儒教、そしてそれを体系化し政治にも応用した朱子学の影響だと思っています。ご存知のように、儒学は紀元前500年頃に孔子によって始められ学問で仁・義・礼・智・信の「五常」を重んじ、家族や友人との「五倫」の関係を良好に保つことを教えとしています。つまり、人としてどう生きるべきかという道徳的な教えが中心です。一方、朱子学は南宋時代の朱熹(1130-1200年)によって、12世紀頃に儒学を体系化し、発展させた学問です。人間の本質は「理」であり、正しく行動することで徳のある生き方ができると説きます。 上下関係や主従関係を重んじます。日本全国での藩校や寺子屋で「子、曰く...」と繰り返しやるわけですから...日本人に叩きこまれたわけです。さらに、「滅びの美学」などと武士道が精神的な支えとなり、「武士は食わねど高楊枝」から始まり、「桜は散り際が美しい」...「義経記」...「忠臣蔵」...「白虎隊」...となって最終的には第二次世界大戦の「玉砕」につながっていくのです。「死」と隣り合わせの「義理と人情」ほど哀しいものはありません。

 そして現在です。よく米国によるイラン攻撃が始まって、よく『日本とイランの友好関係』という言葉を耳にすることがありますが、まさに「義理と人情」の世界です。以前ベストセラーそして映画にもなった『海賊と呼ばれた男』で描かれているような、欧米列強に「喧嘩を売った」、イランと日本...イランでは「日本は信用できる」という認識
が一般的、第二次世界大戦で焦土と化した国土から復興した日本への尊敬の念や欧米諸国のように軍事力で支配関係を迫らない日本の姿勢が評価されているようです。

 世界では、迷わない...大切なのは「サバイバル」。そして、日本の誇りにする「義理と人情」。どのように折り合いをつけたらいいのか。日本は、これからの先、どのように動けばいいのでしょうか。「サバイバル」というグローバルスタンダードでは「義理も人情」もありません。「正義」も「大義」もないグローバル社会での日本の立ち位置は?何が、正しいか、正しくないのか、それさえも曖昧になっている世界で、私が確実に思うのはまずは「死者」を出さないことが最優先されることが大切だと思います。どんなことがあっても「戦争」をしないことです。攻められたら武器を持って防衛するしかありませんが。それが最低ラインの「正義」だと思います。