本日は、32年度以降実施予定の学習指導要領における「国語」の再編についてのお話。
22年度から始まった現行の指導要領で新設した「論理国語」「文学国語」を廃止するとのこと...評論や小説など多様な仔仔を学べる科目編成に変更...


全国の国語科教師がこぞって、ほぼ100%反対していた前回の改訂...でも文部科学省が中央教育審議会(中教審)の検討を経て強行...そして同じ中央教育審議会が改訂..それを審議会は『刷新』という言葉を使っています。
このように、現場の声が届かないまま教育の大方針がコロコロ変わっていいのだろうか。前回の中教審と『刷新』した中教審とメンバーはどうなんでしょうか。同じであったら、余計罪は深い...
私は、英語の教師です。でも国語の大切さ、美しさはわかります。英語の教師だからよけい感じるんです。ここで一番大切だと思うポイントは問題としているのが『国語』であることです。国のアイデンティティに関わる言語のお話です。高市政権を含め、こんなに右傾化しているのになんで日本人のアイデンティティである国語をないがしろにできるのか理解ができません。しつこいようですが、『国語』です。国の言葉なんです。文化です。日本人の「核」をなす部分です。『日本語』はコミュニケーションの手段としての言語です。論理性を身に付けてコミュニケーションの手段として効率よく使える言語教育を...それは英語について進める方針です。国語ではありません。
私が思うに、文学は小説だけではありません。日本の四季の中での「感性」や「情緒」...漢字、ひらがな、文字自体に込められた「語感」を体感しうる日本文学のエッセンスと言われる世界的にも評価の高い「短歌」「俳句」といったジャンルに含まれます...正直、素晴らしい、の一言です。
当然、大学入試という大きな壁はあります。文学的要素がマイナーになるのは必要悪と言えるでしょう。英語と同じです。でも学習指導要領で、「そうだ」と限定し、科目割にも導入してしまうことが問題なのです。今回の改定で、実施されるのが6年後...その間は柔軟に...となるのだと思います。でも、最初から分かっていたことをなぜ、「下々の声」を聴かずに強行するのか...「中教審」とは何なのか、「有識者」とは何なのか、正直のところ存在意義がわかりません。当然、今回の『失敗』で誰も責任はとりません。
教育とは何なのか。日本人として必要な教育とは何なのか。もう少し、「下々の声」、つまり現場にいる教員(文科省の企画に選出されるような「優秀な教員」ではなく)の声を聞いてもらえないかと真に思います。
最前線を一歩も二歩の引いた「じーさん」の教員の「戯言」でした。チャンチャン😉