おじさんの戯言 猫付き

英語好き、猫好きのおじさんの戯言

「おじさん」と旅 本当に怖い話🏕

今回は旅先で体験した「恐怖」のお話。

 30年も昔のこと。若い頃はよく仲間でも旅行をしました。その時は4人で1週間くらいレンタカーにテントを積んで九州を旅行していました。夕方になると地図(カーナビは当時ありません)でテントが張れる場所を探し、お酒と食料を買い込んで宿泊する気楽な旅でした。熊本のある山合にあるテント場に向かいました。もう周囲は薄暗くなっていました。テント場の「受付」に向かうと人影はなし。ただやたらとデカいテントが張ってあって中はカラ、本当に何もないのです。でも電灯はすべてオン。大災害の時に遺体安置のために張ったテントって感じがして、少し鳥肌がたったのを覚えています。皆で車を横づけにしたまましばらく人が現れるの待っていましたが誰も現れません。どうしようか、このままテントを張るのもな、と思い「受付」から少し離れたとことにあるやたらと広い駐車場(砂利引き)にテントを張り、人が来るのを待つことに。広い駐車場にも我々だけ..誰もいないんです。結局、食事・酒盛りが始まり、「受付」「テント」は満艦飾のようにライトがついたまま。蒸し暑い日でした。

 寝るか...誰ともなく寝支度を始めました。あまりの暑さに「テント」とエアコンの効く「大型のSUV」を交代で2人づつ寝ることに。それから2時間後、「恐怖」の時間が始まることになるとも知らずに。

 夜中2時ごろ、SUVの窓をこつん、こつんと叩く音が聞こえます。車で寝ていた私はびっくりして外を見ると、テント組の2人が顔を青くして立っているのです。もう一人を起こし話を聞くと、テントの周りに誰かいる...と言うのです。言っていることが理解できずにいると、とにかく来てくれとテント組に連れられてテントに行きました。ただ、テントは広い砂利引きの駐車場の真ん中に立てたので周囲がよく見えます。周囲に人影はありません。とにかくテントの中に。中型のテントに4人の男...「あのさ~」と私が口火をきると、テント組がとにかく声を出さないでと口に指を立てます。30秒もしなうちに、音が聞こえだしたんです。テントの外の砂利を踏む音が...すっかり目が覚めました。その音がテントの周囲を歩くのです。4人とも顔面真っ青、「ほら、聞こえるだろぅ?」とテント組の1人がささやきます。あまりの怖さに誰も声が出ません。周りから見るとアホみたいに見えますが、中から「どなたですか」と声を掛けます。でも返答がない。その時だけ足音が途切れるのです。しばらくするとまた足音がテントの周囲を回り始まります。一応登山経験者もいたので、登山ナイフを持っておりました。ある計画をたてました。テントのファスナーをおろして開け放つ2人、もし万が一危険人物がテントに乱入したらナイフで対応する2人に分かれ行動するという計画です。1,2,3......小さく掛け声をかけてテントを開けた瞬間、足音が消えました。確認すると外に誰もいません。今度は、とナイフを持った2人が外にいて残りの2人がテント内にいて足音の正体を確かめることとしました。テントの中の残りの2人がファスナーをあげます。すると、全く「足音」は聞こえないのです。「足音」の質も確かめます。外の2人が歩き、砂利から出る「クイッ、クイッ」という音はやはり、60~70キロの人間が歩いている音らしいこともわかり、全員でテントの周囲を点検することにしました。5分ほど歩き回りましたが、異常なし。そうだ「受付」は...と目を向けるとフルライトアップのテントが無人のまま立っています。寝るどころではなく、テントの中に再び集合。すると再び「テント」の周りを歩く足音が始まる...その時です。ガソリン型のバッテリーを使用する音が聞こえたのです。仲間がいる...救われた気持ちがしてテントから用心して出て音源に向かうと、一段下がったところに同様の駐車場がもう一面あり、ジープ型の車両の近くでバッテリーが音を立てていたのです。危険を知らせたいのと、さらなる仲間が欲しい気持ちもあり、そちらに向かいます。なんと、テントも見えますし、ライトもついているのに人がいないのです!さらに追い打ちをかけるように山のどこかで合戦のような雄たけびが聞こえるのです。この時代にサムライ?音のこもり方がそんな感じなのです。皆、顔を見合わせてしまいました。誰も口を開きません。当時は携帯やスマホもありません。助けが呼べないのです。

 もう山を下りるしかありません。ただ、真っ暗で動きようがないので、夜が明け始める4時半くらいまで交代でテントに見張りに立ちました。ようやく夜が明け始めたので荷物を積んで...最後の試練が待っておりました。

 バッテリーが上がってしまってエンジンがかからない!本当に怖かったです。どうしたか?一人がハンドルを担当、3人でSUVを押して、坂道のところまで運び、坂道の傾斜を利用して車輪を回転させエンジンをかけることに...何とか坂道の緩い傾斜のところまで運び、あとは下へ移動する自然のエネルギーを利用して...最後は車を移動させていた人間がそれぞれ3方のドアから飛びのりました。お前たちはインディジョーンズか...しばらくするとエンジン始動!4人から歓声が上がったのは言うまでもありません。が一度エンジンを止めると二度とかかるかわからないので、市中に入るまでにガソリンスタンドが見つからないと...ありました。明かりもついています。人間もいました。私たちは助かりました。

 あまりにも気になり途中の書店で調べたところ、そのキャンプ場のあったところは昔平家の落人がそのあたりに潜伏していたところ、との記事を見つけ、再び鳥肌が立ったのを今でも覚えています。

 さすがに、その晩はビジネスホテルでゆっくりとしました。

私としては、最上級の怖さでした。皆さんもそんな経験ありません?

「予備校」信仰(2):予備校は不要?(英語編)📈

本日は、「予備校」と「学校」のお話の2回目。

 今日は、(利用するとしたら)「予備校」の効果的な利用法をお話します。

 そもそも「予備校」に行かなくて平気か?ということですが、一言でいえば「行かなくても大学は合格できる」が結論です。以前の教え子にSさんがいました。高校入学当時から京都大学法学部を目指していました。Sさんは3年間運動部に所属し、予備校も行かず、ほぼ独学に近い形で勉強を続け見事現役で京都大学法学部に進学していきました。その後の開示で高得点で合格していたことも判明しています。もちろん、過去問をノートに解いては私のところに持ってきて添削を受けるといった受験対策はしていましたが。そのノートは最後は合計で4冊近くになっていたと思います。冠模試(京都大学専門の模試)では、英語に関しては全国で1,2番でした。できるのです。以前のブログで紹介した「Kさんについて」(10/21-23 2024)でも明らかです。私自身も予備校・塾に行ったことは今までありません。

 予備校の利用の仕方ですが、全くの私見ですが、以前のブログ『「使える英語」を身に付けるための英語教育(4)』(10/19 2024)でお話したと思いますが、高校1,2年では学校での授業を中心に基礎を固め、3年生で他の進学校との他流試合のつもりでさらに高見を目指し予備校に通う...が一番コスパの良い利用法と思います。3年生になってまで、1,2年の基礎を...なんてやっているから間に合わないのです。英語が得意、不得意は1年生の基礎で決まります。

 生徒は予備校に通っていることで受験勉強をしていると錯覚する...(親たちも)予備校に通わせているということで、自分たちの義務は果たしていると安心する...予備校は高額な商品です。「学校での学習」と「予備校での学び」もう一度振り返ることも必要ではないでしょうか。

「千里の道も一歩より」

 

「予備校」信仰(1):学校と何が違う(英語編)📈

本日は、「予備校」と「学校」のお話。

 受験本番を控え、多くの生徒が予備校に通っています。授業中に予備校のテキストで内職をしていて注意することもあります。「予備校で学習する英語は大学受験に出る」、「学校で習う英語は役に立たない」と思うのでしょう。私は英語教師ですから、少なくても生徒たちより英語についてわかっているつもりです。予備校の英語も学校の英語も変わりません。100%同じです。それではなぜ違って見えるのでしょう。

 「予備校で学習する英語は大学受験に出る」はあながち誤りではありません。例えば、学習すべき1000の項目があったとします。学校では基本は1000全部教えます。予備校ではその中で受験に出題される100だけを重点的に教えます。ですから、予備校で教える英語は100/100で100%出題されることになります。一方、学校の方は100/1000ですから10%しか出題されないことになります。「なんか無駄...」と生徒は思うのです。ただ、テストに出題されない残りの90%はわかって当然の「基本のキ」の内容です。そこの部分を外して「英語」は存在しないのです。「試験に出るところだけ」で英文は読めません。学校では、1から始めて1000まで教えるので、時間がかかるのです。タイパの問題ではありません。

 実は、社会人の英語にも同様なことが言えます。『出るとこだけ』勉強はダメなんです。社会人はTOEICのスコアで給料が変わったりするので命がけです。卒業生から『TOEICに出る』式の参考書何回やってもどうしてもスコアが伸びない...そんな相談を受けました。高校レベルの文法事項(残りの90%)をもう一度復習してごらん、とアドバイスをすると、いきなり150点スコアがあがったのです。基礎は大切なのです。

 生徒の皆さん、学校の授業を大切にしましょう。毎年、授業に最後まで食らいついてきた生徒が合格を勝ち取っている割合が高いと思います。

 それでは、予備校は不要なのか?予備校に行かなくて志望校に合格できるのか?と言われそうです。それについては次回のブログで。

 

原風景ってどこから来る?🔐

今日は「原風景」のお話。

 原風景とは?

原風景とは、その人がもっとも影響を受けた、意識の奥にある原初の風景のこと。幼いころに過ごした土地の風景だったり、多感な時期に見た景色だったりする。懐かしさを伴うことが多いが、必ずしもポジティヴな印象を持っているとは限らない。また、実存する風景でないこともある。視覚的な記憶だけでなく、聴覚、嗅覚の記憶である場合もある。(安達ロベルト氏 2024年3月6日 )

 私は原風景という言葉を聞くと、「トンネルを出るとそこは雪国だった」川端康成の有名な『雪国』の冒頭を思い出します。『源氏物語』の「いづれの御時にか..」や『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声...」と同じくらいに有名ですね。冒頭しか読んでいない人も多いと思いますが。

 この文を読んだ時、どんな情景を心に思い浮かべますか?平成生まれの生徒に質問したことがあります。大多数の生徒は次のイメージを語りました。

 汽車で暗いトンネルを抜けると、真っ白な銀世界...藁ぶきの民家があり...その家には囲炉裏があり炭の匂いがして何かぐつぐつ煮立っている...じいちゃん、ばあちゃんもいて家族団らん....少し離れたところに猫が丸くなって寝ている。外は雪が深々と降っており、時々人々の雪を踏みしめるキュ、キュとする音が聞こえる。水車も見える。トンネルを出た時に目に入る雪の白さは物理的な明暗以上の「何か」を感じる。

 舞台は越後湯沢で毎年クリスマスの時期に雪が積もります。私もスキーで何回かお邪魔しましたが、関東では積雪は0なのに、このトンネルを抜けると真っ白な銀世界で感動したことを覚えています。多くの生徒は、実体験として上記の経験をしていないと言います。このような心に浮かぶ情景はどこからくるのでしょうか?

 小さい頃から親や祖父母からの話からでしょうか?読んでもらった昔ばなしの絵本からの情景が心のどこかに残っているからなのでしょうか?不思議です。日本人が共通に持つ原風景の一つではないかと思います。欧米人の多くは「トンネルを出ると...」の文章(英文ですが)を読んでも日本人が感じるようには感じない、「ただ、トンネルを出ただけだ」と言う人が多いようです。文化の違いの奥深さを感じます。

 インバウンドで沢山の観光客が京都や奈良でなく、地方の土地に訪れているとニュースで流れていました。もしかしたら、自分たちとは違う「原風景」を何か感じたいのかもしれません。

 日本らしさのルーツはここら辺にヒントがあるのでは...日本人のさまざまな原風景をたどっていくと、日本人の「どこから来たのか」がわかるような気がします。

 

「環境汚染」考🏭

本日は「環境汚染」のお話。

 「江戸前寿司」🍣...。美味しそうだ、と思った人はきっと若い人です。高齢者のほとんどは、高度成長期、『公害』の中で成長してきた人間です。東京湾江戸前)でとれた魚介を食すなど考えもしませんでした。工場排水や家庭からの汚水などにより全国の河川・海は汚れ、悪臭を放っていました。東京湾江戸前)にもヘドロ(沈殿した汚物)がメートル単位で沈殿していました。東京湾で獲れた魚は「臭い」が第一印象です。

 それがどうです?今や、数十年の努力が報われ「江戸前寿司」がブランド化するにまで東京近郊の河川・海が浄化されたのです。夏の風物詩となっている隅田川の花火大会ですが、起源は古く江戸時代中期の8代将軍徳川吉宗公の時代「両国川開き花火大会」として始まったのですが、先ほどの高度経済成長による交通事情の悪化、周辺の都市化、隅田川の水質汚濁により1962年(昭和37)年には中止になりました。それが、各部署の努力により河川の浄化が進み1978年に隅田川花火大会」となって復活したのです。

 過ちを努力によって正すことができる、の証の一つではないかと思います。もちろん、浄化が進んだのは河川・海だけではありません。当時は普通だったスモッグもあまり若い人は耳にしなくなったと思います。大気汚染の浄化対応のおかげです。

 『公害』、『ヘドロ』、『スモッグ』といった語がこれから先、死語になるよう努めたいものです。最近では、その動きと連動するように『サステイナブル(持続可能な)』といった言葉をよく耳にするのは良いことだと思います。

 私の近所の川も同様に浄化が進み、自然が帰ってきました。🙆‍♂️

浄化が進む隅田川からスカイツリーを望む
自然が帰ってきた川

 

「おじさん」と旅 一人旅のススメ🚂

本日は「一人旅」のお話。

 皆さんは「一人旅」をしたことはありますか。家族や連れ合いと旅行することは「感動」や「楽しさ」を倍にしてくれるので素晴らしい思い出となります。

 ただ「一人旅」の良さもあります。「自己解放」というか「無になれる」というか、何も考えずにボーっとなれるのです。私がした一番長い「一人旅」は東海道踏破です。日本橋から出発し(コロナ禍もあり)数年がかりで京都三条までたどり着きました。カミさんは沼津でリタイアしたため、それからは「一人旅」となりました。基本的は「無」の気持ちで歩く、旅する、が好きなのです。(東海道踏破のお話は別の記事で😁)

 外的な環境も整ってきました。以前は、宿泊場所を確保するだけでも面倒、ましてや「一人旅」となるとビジネスホテル程度しかありません。「旅館」タイプなら個々に問い合わせるのですから大変。今は「トリ〇ゴ」や「アゴ〇」といったサイトを調べれば、日時・条件にあったところをすぐにピックアップしてます。

 また、スマホのソフトも充実していて、完璧な道案内もしてくれます。何しろ、現住所から次の観光スポットを入力すれば、鉄道はもちろん、接続するバスの停留所まで案内してくれるのですからパーソナルガイドを雇っているのと同じくらい快適です。昔、JTBやJR発行のあの分厚い時刻表を持ち歩いたことを思い出します。

 リタイアした現在、日本地図を見ながら一筆書きの旅を考えるのも楽しみの一つとなりました。皆さんも是非「一人旅」に出かけてみませんか。

横須賀港~新門司「ソレイユ」九州沖

下関 壇之浦


 

「猫付き」の猫(チョラリはグルメ)😸

先日のブログで紹介した愛猫チョラリのお話。

 チョラリはグルマンです。というより、カミさんが「猫グルメ」なのです。私の世代は猫と言えば「猫まんま(ご飯に味噌汁をかけたもの)」です。だから猫も早死にしたのでしょう。カミさんはチョラリ第一です。腎臓病等猫のかかりやすい病気を回避させるために「年齢」、「栄養素」、さらに「無添加」までこだわり餌を購入します。もし

かしたら、我が家で一番食費かかっている家族かもしれません。※ちなみに私は「猫まんま」が案外と好きで、時々朝食に食べますが。

日々パトロールを欠かさず、その後の食事

 さらに、医療保険も入っています。カミさんの加入している保険料より高いのでは?と思います。幸か不幸か、一度も保険を使ったことはありません。毎年、保険料の高さにビックリするのですが、「保険」に入っていると病気にならないのでは?という希望的発想から、毎年払い続けています。

 チョラリは今日も元気です。

夕方には必ず「おじさん」の股でくつろぎます