本日は、言われ始めて久しい「デジタル化の波」についてのお話。
私のスマホはカミさんのスマホと同じ機種です。数年前からそうです。理由は、スマホを使って何かをする時、スマホではなく「おじさん」がフリーズすることが多く、その際疫病神を追っ払うようにカミさんに渡し解決してもらえるからです。他力本願もいいところで「他人をむやみに頼るでない!」と生徒に説教をたれる教師としては失格かもしれません。このデジタル化の波は一昔前から流行った「グローバリゼーション」と同じ匂いがします。どちらも「こちらから飛び込んでいくものではない。波のように向こうから押し寄せてくる。じっとしていても飲み込まれるだけだから自分からそれなりの対応をしないととんでもないことになる」という点です。
その流れは顕著です。以前は、職場(学校)の成績処理等で使っていたのが、今は、業務管理~年末調整・扶養家族の申告まですべてに及んできました。それだけではありません。日常生活すべて、買い物にいっても事前精算、居酒屋に行っても注文はタブレット、おちおち気持ちよく酔うこともままなりません。白い紙に落とした墨汁が同心円を描いて広がるようにテクノロジーの進歩と併せて倍々の速さで広がっています。
老人たちは、鳴門の渦潮に巻き込まれまいと必死に潮目から遠ざかろうとする小舟のようにもがいています。「デジタル格差」ですね。パスワードをいちいち声を出して確認してしまうような老人ではさもありなん...です。
新しく、便利なものには必ず「光」と「陰」があります。私が高校生であったころにステータスの証でもあった何十巻もある百科事典は不要ですし、英語の電子辞書を飛び越してスマホの辞書が当たり前になっています。以前は花嫁道具になっていた料理本も不要です。「みどりの窓口」でさえ廃止になる状態。スマホという「秘書」がいるのと同じです。一方で、SNSを利用したいじめや犯罪、最近ではデジタル化と深いかかわりのある「闇バイト」なる流行語もある「陰」の部分も毎日のように新聞をにぎわせています。
厄介なことにそのスピードが、社会全体のスピードを凌駕しつつあるのです。しかも老人は当たり前ですが社会全体がそのスピードを制御できなくなってきているのです。原子炉が臨界点に達し、制御できなくなっているのと同じです。後戻りができません。清濁併せ吞むしかないのです。ただ、一度立ち止まって、相互に絡み合ってしまったデジタルの網をもう一度ほぐしながら各段階を検証しながら進む「アナログ」の部分も必要だと感じます。やはり、国による何かしらの対策、規制が必要だと思います。保険証のデジタル化も大切だと思いますが、もっと大局的な視点が必要ではないでしょうか。
個人としては、私も「デジタル化」の渦に飲み込まれないように頑張ろうと思います。
下の絵は、スマホに付属している「AIスケッチ」という機能で描いた絵です。左が私が描いた絵、右がその絵を元に「AIスケッチ」が描いた絵(イラスト)(5秒)です。
しかも「イラスト」、「3Dアニメ」、「スケッチ」、「ポップアート」それぞれの画風で4種類ずつ作成します。デジタルの力、半端ないでしょ?
AI作製の絵は以前のブログでも紹介しています。(「AI」VS 「人間」🖼 11.2. 2024)